そんな樹木さんが人生のすべてを語ろうというのだ。しかもまもなく死を迎えようとしているこの時期に、である。インタビューの楽しいトーンが変わることはなかったけれど、これは樹木さんの遺言なんだ。そう思ってインタビューに臨んだ。映画を志している人々に、子育てをしている人々に、病に苦しんでいる人々に、生きるのがつらいと感じている人々に、樹木さんが命を賭して伝えようとしていることを漏らすまいと、一言一句を懸命に書き取った。

 樹木さんが亡くなったのは昨年9月15日。その後、樹木さんの言葉を集めた本が雨後のタケノコのように出版され、どれもが多くの人に読まれている。樹木さんは、例えば高倉健や原節子のようなスーパースターではない。役者人生の大半を、風変わりな脇役として作品にアクセントを与えてきた。晩年は映画「わが母の記」「あん」「万引き家族」などで玄人好みの演技を披露してきた。

 今、樹木さんの本は売れに売れている。それは、歯に衣着せぬ物言いが心地良いのと同時に、病気や死を恐れない態度が支持されているのだと思う。いずれも、私たち凡人は真似することが出来ない。樹木さんの生き方に、共感と憧れを抱いているのだと思う。

「自分の身体は自分のものだと考えていました。とんでもない。この身体は借りものなんですよ。借りものの身体の中に、こういう性格のものが入っているんだ、と」「『人間いつかは死ぬ』と言われます。長くがんと付き合っていると、『いつかは死ぬ』じゃなくて『いつでも死ぬ』という感覚なんです」

 亡くなる直前、入院中だった樹木さんは自ら申し出て自宅に戻った。その夜、娘の内田也哉子さん(43)や孫たちに囲まれ、息を引き取った。母親に続き、父の内田裕也さんも亡くした也哉子さんに、無理を言ってインタビューに応じてもらった。「母は常々『家族に、自分の死んでいく姿を見せたい』と話していました」と也哉子さんは言う。そしてその通りに旅立った。

 私は、樹木さんの“遺言”をきちんと咀嚼することが出来ただろうか。「本にはしないで」との樹木さんの言葉に反して出版してもよかったのだろうか。そんなことを考えながら、出来上がった本を携えて、お墓にお参りしようと思っている。(朝日新聞編集委員・石飛徳樹)

AERA 2019年8月12-19日合併増大号より抜粋