若いイギリスの男性ジャーナリストは衝撃を受ける。虐待のうわさは多くの人が知っている。それなのになぜ、誰も声をあげないのか? なぜ、社会はここまで無関心なのか? 来日前、こんな結論を彼は予想していただろうか? ジャーナリズムの使命に基づき、真実を追いかけ、不正義を告発し、大企業に責任を問い、社会への問題提起を目指していたはずのドキュメンタリーが、次第にジャーナリスト自身が日本の無気力と無関心にのまれていくような、不穏で不気味な空気に支配されていく。

 大人が、その地位と権力を利用し、圧倒的に弱い立場の子供を性的に利用する。その大人は怒鳴ったわけでも、暴力を振るったわけでもない。ただ優しい言葉で、マッサージをしてあげる、と多数の中から、一人を選ぶ。自分の運命を握る大人から「選ばれた」ことは、ただの恐怖体験ではなく、性的な快楽も含めたとしても、複雑な混乱を子供にもたらすだろう。だからこそ、あれは被害だった、あれは暴力だった、と言語化ができない時間はあまりにも長い。たとえ被害を訴えたとしても、訴えたことで得るよりも失うもののほうが圧倒的に多いとしたら。というより、そもそも誰もそんな話を聞きたがらないとしたら。何よりも大きな問題は、私たちの多くが性虐待の疑惑を知りながら、目を背けてなかったことにし、アイドルたちが見せる美しい夢の世界をただ享受し続けたことだろう。

 BBCのジャーナリストが混乱しながらも日本社会に一石を投じたこの問題。これからどの程度の波紋を日本社会にもたらすのか、それが今、問われる。

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