──萩尾さんの作品を読んでいると、歴史や美術の知識が豊富かつ正確なことに驚きます。
萩尾:『春の夢』には蓄音機でシューベルトの「冬の旅」を聴く場面がありますが、当時は長時間の録音ができなかったので、長い曲はレコードを替えながら聴いていたそうです。となると登場人物の会話に関わってきますから、調べなくてはいけません。
──連載中の『王妃マルゴ』は歴史物ですから、調べる事柄も多いでしょうね。
萩尾:完璧とはいきませんが、できうる限り、調べて描きたいですね。情報が集まるほど、物語が自然に立ち上がるのではないかと思います。もちろん調べてもわからないこと、空白の部分は出てくるので、そこには「物語の中の嘘」を描きます。『王妃マルゴ』でいえば、マルゴが密かに産んだジャックは、いくつかの事実から、私が考えたキャラクターです。
──嘘というか、歴史のなかで「あったかもしれない可能性」ですね。『春の夢』も『王妃マルゴ』も戦争が物語の中に色濃く出てきます。
萩尾:なぜ戦争は起こるのかという疑問がずっとあって、日本やドイツの歴史を調べていたんですけど、しんどいですね。でも戦時中に生まれていたら、疑問をもたず軍国少女になっていたんじゃないかとも思います。
──物語はどこから来るのでしょうか。
萩尾:お話を考えるのは、私にとって本能のように当たり前のこと。気にかかることの答えが見つからず、何度も何度も考えているあいだに、化学反応が起きるようにアイデアを思いつくこともあります。たとえば私は家族との関係がよくなくて、そのせいで日本を舞台にした物語をあまり描かなかったんです。でもいつかは日本の家族関係を描きたいと、アイデアを思いついては没にすることを繰り返しているうちに、ふと「こんなに家族と折り合いが悪いのは私が人間じゃないせいでは」と考えた。ちょうどテレビにガラパゴス諸島が映っていて、『イグアナの娘』が生まれました。
──線や絵柄も、コントロールが難しいものなんでしょうか。
萩尾:線はイメージと筋力によって描くんです。イメージが筋肉を動かすんですね。だからイメージが変わると線も変わりますし、逆に筋力が変わると線も変わります。二つの要素が微妙に絡み合いながら描いているのですが、年をとると、思っているような線が出てこなくなります。昔は脳と指が近かったんだな、と思います。考えなくても線がスーッと生まれていたけれど、今は距離があるのだとわかります。若い頃は1日数ページ描けたのですが、今は2枚がやっと。思うような線を出すことができる、ギリギリの仕事量ですね。でも、これからも描きたいものがあることは、本当に幸福だしありがたいことです。
──まさに原画は作家の方の身体的な記憶でもあるんですね。そうした「線」の変化も、展覧会でよくわかりそうですね。
萩尾:顔の修整ですとか、突っ込みどころもたくさんあると思うので、楽しんで見ていただけたら嬉しいです。
(構成、ライター・矢内裕子)
※AERA 2019年7月29日号