「学校に行く意味がわからない」「勉強する意味がわからない」。子どもたちのこのようなつぶやきにあなたなら何と答えますか?「そんなこと言ってはダメ」「わからなくてもやるもの」と言ってしまうのではないでしょうか。「探究型学習」の第一人者であり、著書『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)の中でリベラルアーツを学ぶことをすすめる矢萩邦彦さんに、同じ質問を投げかけてみた。
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学校に行きたくないという中高生に理由を尋ねると、圧倒的に多い回答が「学校や勉強の意味が分からない」というものです。意味が分からないとは、どういうことでしょうか?
これは内容が分からないのではなくて、学校へ行くことや勉強が自分にとってどんな価値やメリットがあるのか分からない。いいかえれば、自分の現在や未来とどう関係するのかが分からないということです。
たとえば、猫を飼っている人にとって、猫の飼い方や習性を学ぶことは明らかに関係がありますよね。そんなふうに共通するキーワードがあれば分かりやすいのですが、学校に行くことや勉強は、なかなか自分の趣味や将来の夢とは具体的に重ならないかもしれません。
関係が分からなければ、自分のなかで優先順位が下がってしまうのは当然です。では、ぼくたちにとって関係ないことは存在するのでしょうか?
一見関係ないもの、関係ないと思われていることに関係性を見つけ、対角線を引く。そのことをぼくは編集と呼びます。
ぼくの父親は口数の多い人ではありませんでしたが、あるときふと「世界は網の目みたいなもんだ」と言ったんです。気づいていないだけで、もともと全部つながっているというんですね。それを聞いたときに、頭のなかでバーッと網の目のイメージが広がって視界に重なったのを鮮明に覚えています。
ぼくたちは知識や経験をもとに、関係があるとかないとか感じています。多くの場合、アリストテレスのような先人たちによる分類や体系を基準に関係性を判断しているわけですが、それは一つの視点にすぎません。では、新たな関係を見つけるにはどうしたらよいでしょうか?