批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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文芸評論家の加藤典洋氏が亡くなった。71歳だった。
加藤氏の業績は多岐にわたるが、もっとも知られているのは1997年の『敗戦後論』だろう。同書は、日本はいまだ敗戦を受け入れないでいる、その失敗が日本を一種の「人格分裂」に追い込んでいる、それゆえまず国内の死者の追悼が必要だと主張して話題を呼んだ。国内の死者と国外の死者、どちらを優先すべきかをめぐり、哲学者の高橋哲哉氏と論争も交わされた。
氏が指摘した「人格分裂」とは、要は歴史認識の分裂のことである。日本の半分は第2次大戦はまちがっていたと感じている。残りの半分は正しかったと信じている。日本は戦後、その分裂を放置したまま平和を享受し、その結果左右、国内外どちらから見ても中途半端な状況に陥ってしまった。同書の出版から20年以上が経つが、この指摘の重要性はいささかも減じていない。否、日韓関係が史上最悪の局面を迎え、改憲が現実味を帯びているいまこそ、立ち返るべき論点といえる。
歴史と慰霊は、いまや世界中で重要な論点になっている。その困難を「人格分裂」という言葉で抉(えぐ)り出した氏の議論は、じつに先駆的だった。
加えてここで忘れてならないのは、氏があくまでも「文芸評論家」として発言していたことである。『敗戦後論』は政治的な問題提起の書と受け止められた。しかし実際は文学論に多くの頁が割かれていた。氏は上記のような「分裂」を癒やすためには、政治の言葉だけでは不十分で、文学の言葉こそ必要だと考えていた。これもまた、政治がSNSの罵倒合戦に還元されつつあるいま、ますます重要な視点である。
政治は友と敵を分割する。文学はそれをつなぎなおす。政治と文学の関係は、文学者が特定の政治的立場を支持するといったものではなく、そのような本質的な補完関係でなければならない。加藤氏はその重要性を繰り返し訴えていた。
筆者は氏に数度お会いしたことがある。まだまだお話を伺えると信じていたので、訃報に驚いた。氏の仕事はこれからこそ必要とされるはずだった。心よりご冥福をお祈りしたい。
※AERA 2019年6月3日号