タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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初めて書類に「令和元年」と書き込んだのは、平成31年4月下旬のことでした。オーストラリアに戻っている間の郵便物をとどめておくために、郵便局に不在届を提出したのです。そうか平成に出国して、戻ったらもう令和なんだな。
新天皇が即位して、元号が新しくなる。それで時代は変わるのでしょうか。
上皇ご夫妻に、私は悼みと祈りを付託していました。両親は、子どものころに第2次世界大戦を経験しています。父は上皇さまと同い年でした。両親が経験した爆撃や飢えや貧しさを聞くにつけ、戦禍に倒れた多くの犠牲者たちに対して「何かしなくては」という思いが募っていきました。それがご夫妻の慰霊の旅によって果たされたような思いがしたのです。まして戦争を経験した世代にとって、それはどれほど重みのあることだったかと思います。同じことは公害や災害にも言えます。無力感や後ろめたさが、ひざまずくご夫妻のお姿によって和らぐような気がしました。
では私は、令和の時代の天皇に何を付託するのか。天皇、皇后両陛下は、人々の何を象徴しているのでしょう。国民統合の象徴という言葉は曖昧で、実感が湧きません。
長い間ワイドショーと週刊誌で話題にされてきた皇室の人々には、極めて今日的な家族の問題があり、だからこそ身近な存在でもあります。令和の皇室は、国民統合の象徴というより、制度疲労を起こした共同体の中で生きづらさを覚える現代の家族の象徴であり、さまざまな葛藤を抱えながら伝統の読み替えと抑圧からの解放を模索する個人の姿を見る人も少なくないでしょう。むしろそのようなまなざしによって、私たちは共にあるということの新しい形を見つけるのではないかと思います。
令和を生きる誰もに、自由と喜びがありますように。心からそう思います。
※AERA 2019年5月13日号