2018年11月、日本PTA全国協議会の式典に出席した雅子さま。12月の55歳の誕生日には、「国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたい」と文書につづった (c)朝日新聞社
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 皇后雅子さまへの思いを、アエラは報じ続けてきた。「出来上がった秩序」の中で苦しむ姿に、自分たちを重ねてきたからだ。同世代だからこそ感じる共感は、これからも──。

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「“同期” 雅子さまへ、私たちが言えること」

 そんな見出しの記事がアエラに載ったのは今からちょうど10年前の2009年だった。

 1986年4月、「男女雇用機会均等法(均等法)」が施行された。雅子さまが外務省に入省したのは翌87年。その年に社会に出た「同期」女性が、雅子さまについて語る。そういう記事だった。

 脇に「出来上がった秩序に入っていったからこそ」という見出しも立っていた。

 86年から90年に「総合職」として就職した女性を「均等法第一世代」と表現することが多い。その世代を特集する号だった。

 彼女らの入っていった世界に待っていたのは、どんな「秩序」だったのか。金融機関で働いているという女性は、こう表現している。

「均等法が施行されたといっても、『男女平等と聞いていたのに、入社したら違った』という話は周りにあふれていた」

 そして「雅子さまは、お世継ぎだけに成果が集約されすぎているように見える」と続け、「聞いていたことと違うじゃないの、という気持ちだったかもしれません」と推察している。

 個人的な話で恐縮だが、私は均等法施行の3年前に入社している。だから会社が「男性ファースト」であることを、ある種の諦めと共に受け入れていた。ま、そんなもんだろう、と。だがほんの少し後輩の均等法第一世代の女子たちは、そうではなかった。「約束と違う」ととらえ、苦しみ、きちんと怒っていた。

 だからこの記事の狙いはよくわかる。彼女らと同じく、雅子さまにも「出来上がった秩序」が待っていた。それが「お世継ぎファースト」の皇室。立場は違えど同じ苦しみを味わうものとして、雅子さまへの共感を書いていく。

 93年1月、皇太子さま(当時)との婚約が正式決定した直後、小和田雅子さんはこう語った。

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