「今私の果たすべき役割というのは殿下のお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることではないか、と考えましたので、決心したわけですから」、外務省を辞めたことに悔いはない、と。
だが「新しい道」が見えてくる前に、雅子さまは「適応障害」という病を得てしまった。ご成婚から10年後の03年末から公務を休み、病名が発表されたのは翌年の7月だった。
出来上がった秩序の中で働いてきた均等法第一世代の女性たちも、アラフォーになった。結婚、出産とライフステージが変化する時も、なぜか女性にばかり悩みが押し寄せてきた。だから彼女らは雅子さまの苦しみを、「我が事」ととらえ続けた。
88年創刊のアエラも、世に出た時代で言うならば、均等法第一世代ということになる。他誌に先駆けて彼女たちに注目し、出来上がった秩序の中で苦しみ、怒る彼女らのことを報じた。当事者のみならず、彼女たちについて知りたい「秩序」側もアエラに注目した。
冒頭の記事に戻るなら、金融機関に勤める女性は、皇室が今のままでいいのかという議論のきっかけとなったから、「雅子さまの存在こそが最大の成果」と言い、こう続けた。
「現時点の評価ではなく、長い時間軸の中での存在意義を考えればいいのではないでしょうか」
(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2019年5月13日号より抜粋