お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。
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二十歳の頃のことを書きたい。
私は昭和の終わり頃上京している。1988年のことだ。4月から大学生となり、当時は知らなかったが、バブル景気の真っただ中だった浮かれ気分な世の中に背を向けるように5月から引きこもりになった。たった一カ月でもう新生活にギブアップしてしまったのだ。
19歳。天皇が崩御され、元号が変わったあたりを見計らって社会復帰した。田舎には「東京ではうまくやってる」という嘘を伝え、学校に戻ってからは「去年の4月からいましたけど?」を装った。そして、ほどなく新宿で夜のバイトを始めるのだが、そこでも「昼間は快活な大学生」を演じた。四方八方に嘘をついて「本当の自分」がバレないようにした。そうすることで外に出る理由を作っていたように思う。ついた嘘を本当にするために。相手に「やっぱりマキタは東京でもうまくやれてるんだ!」と思わせ、大学では「おまえ前からそんなに面白かったっけ?」と言わせ、バイト先では「学校もあるのに偉いね!」と感心させる。
うまく騙(だま)せたら自分の得点と考えるのだ。たまに「ん? 本当は暗い人?」と危うく失点しそうになったこともあるが、ほとんどうまくいったと思う。当たり前だ、自作自演でやっていることだし、相手を大きく騙して嵌(は)めてやろうとしていたわけではない。自分が「そう見える」ためにやっている程度なのだから。
上京して2年ほどたち、成人式のために田舎に戻った。スーツなど自分で用意も出来ないし、親にもそんなゆとりはなかった。私は東京の夜の街で出会った友人から派手めなDCブランドのスーツを借りて、あたかもそれが自分の物であるかのような顔で町の市民会館に向かった。地元の連中がゾロゾロと集まっている。皆妙に着飾っていて、とても滑稽に見えた。山梨に留(とど)まり、普通に生活している者らがここぞとばかりに派手やかにしていることを蔑(さげす)んだ。「ここぐらいしかアピールする場がないんだろう」と。