「不安定な時代に文学の力を」。ノーベル賞作家カズオ・イシグロ氏の言葉だ。まさに文学の力が、トランプ米政権下の混乱社会でも影響力を発揮している。
* * *
月曜日の午前3時20分、自宅にいた米大統領首席補佐官の携帯電話が激しく震えた。ホワイトハウス西棟の地下にあるシチュエーションルーム(危機管理室)からの緊急連絡。内容は衝撃的だった。就任間もない大統領が、北朝鮮を核攻撃するよう、わめきまくっているという。武力攻撃を受けたわけではない。米国を批判する声明を出した北朝鮮の挑発に怒り狂った大統領が、核攻撃での報復を命じるという異常事態に陥っていた。
首席補佐官は国防長官と連絡をとった。すでに長官は国防総省の部下に対し、北朝鮮近海に展開する原子力潜水艦が通信不具合で核ミサイルを発射できないと大統領に伝えるよう命じていた。普段から人の話を聞かない独善的な大統領が信じるとは思えない。首席補佐官は大統領令嬢の言葉を思い出した。
「父にNOと言っても無意味。YES、ただ今は時期が悪い、と言うしかない」
現実の話ではない。英国人作家サム・ボーン氏の小説『To Kill the President』の書き出しの一幕だ。トランプ米大統領就任から半年の2017年7月に出版された同書が、同政権を題材にしたのは間違いない。反移民や女性蔑視、白人至上主義。過激な設定を施して娯楽性を増した仮想トランプ政権のフィクションとして読んだ。最後はスキャンダルで失脚する展開に、著者の希望が見え隠れする。
政権側の主役は大統領ではなく上級顧問。トランプ政権下ではバノン氏が就いた役職だ。その上級顧問が首席補佐官らに語った言葉が、トランプ政権の性格を暗示しているようだった。
「大統領は、フィルターを除いた米国白人そのもので、だから選ばれた。目指すのは、米国建国当時のように、白人男性が全ての頂点に君臨する世界だ」
事実は小説より奇なり。