批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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小松理虔氏の『新復興論』が第18回大佛次郎論壇賞を受賞した。いわき市小名浜在住のアクティビストが、自身の活動を起点に、原発事故後の福島が抱える困難について記した大著である。主題は深刻だが、エピソードは重いものばかりではなく食や観光の話もある。切り口は斬新で文章も読みやすいので、多くの人々に肩肘張らず読んでもらいたい。
同書の版元はぼくが経営するゲンロンである。まだ無名の小松氏に、弊社発行のメルマガでの連載をお願いし、まとめて単行本化にこぎつけた。それがいきなりの受賞で、版元としても光栄に感じている。
同書刊行の背景には、じつは弊社が5年前に出版した『福島第一原発観光地化計画』なるものがある。社会学者や芸術家を集め、原発事故跡地を観光地に変える一種の思考実験を提案したのだが、この試みがたいへんな批判を呼んだ。被災者の気持ちを踏みにじった不謹慎な企画だと言われ、それ以降は弊社の事業で福島に触れることはむずかしくなった。
当時の自分の発言には不用意なものもあり、責任を感じている。けれども弊社としては、観光地化のコンセプトは真剣に差し出したつもりだった。原発事故の被害は深刻だが、だからこそ逆に被災地についてあるていど「軽薄」に見て話す場を確保しないと、事故そのものがタブー視されてしまうとの思いがあった。実際、それからの5年の状況、とくにネットの言論を見ると、その危惧は当たっていたと感じる。事故処理は遅々としているし、復興事業の問題も続々と判明している。にもかかわらず、それを指摘することそのものが「復興の敵」と見なされ叩かれるような、歪んだ状況が出現している。
被災者は多様であり、復興も多様である。福島についての語りを「復興の敵か味方か」で二分する硬直した思考こそが、復興を妨げる。小松氏と弊社はその点で考えが一致しており、それが刊行につながった。
さきほど「肩肘張らず」と記したが、被災者がほんとうに必要としているのは、そのようなリラックスした言論環境ではないかと思う。そしてそれは福島に限らないかもしれない。
※AERA 2018年12月31日-2019年1月7日合併号