政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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2018年の世相を表す漢字に選ばれたのは、「災」でした。これには驚いた方も多かったのではないかと思います。
平成最初の1989年、そこにみなぎっていたのは新時代への希望と高揚感でした。あれか30年を経て、平成最後の年末に「災」という漢字を選ぶような時代になるとは、誰が予想したでしょう。
「災」という漢字の選定の理由としてあがったのが、大地震や豪雨、記録的な猛暑などの自然「災」害、さらにはスポーツ界のハラスメント問題などの人「災」です。
確かに18年は、甚大な災害がありました。その結果、今年の漢字として「災」が選ばれたわけですが、それに至る人々の心情を鑑みると、その根底にはびこっているのは「虚ろ=虚」な気持ちだったのではないかと思うのです。
モリカケだけにとどまらず、さまざまな問題が発覚した政治、大手企業の不正、人の命にかかわる免震不正、医大の不正入試にゴーン問題……。日々報道されるニュースを見ていても、実が伴わないものばかりで、組織のトップに立つ人の発言でさえも虚ろに聞こえてきます。民主主義のあらゆるものが「一つの虚構」ではないかという気分にさせられました。
自分たちが信頼しているものが、実は虚ろであるということが分かってきて、そういう意味では落胆と失望が多かった1年だったと思います。
「実」と「虚」というのは、言ってみれば「明」と「暗」です。これだけ「虚」がたむろした平成最後の年を思えば、人々が「実」を求めるのも納得できます。そんな中で最後のよりどころは皇室、と思う人が増えているのではないでしょうか。そこだけは「虚」がないはずだと信じたいのかもしれません。
平成という元号の由来は、「天地、内外ともに平和が達成される」ということでした。次の元号が何になるのかはまだわかりませんが、「実」を表す言葉が出てくるかもしれません。時代は、「虚」から「実」へ。「災」い転じて福となるように――。だんだんとそういう方向に向いていく、そんな「実」のある時代になってほしいと願っています。
※AERA 2018年12月31日号-2019年1月7日合併号