坂本龍一が死去した。世界中のメディアが彼の死を一斉に報じ、多くのアーティスト――大貫妙子、加藤登紀子、北野武、石野卓球、矢野顕子、坂本美雨、SUGA(BTS)、デヴィッド・シルヴィアン、カエターノ・ヴェローゾなど――が哀悼の意を示した。同時に、坂本の経歴や功績を伝える追悼文も数多く発信された。しばらくはこの状態が続くのだろう。
YMOのヒットアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年)リリース当時、小学生だった筆者も、40年以上にわたって坂本の音楽に魅了されてきた。いちファンとして情報番組やニュース記事での取り上げられ方をみて、「坂本龍一さんのキャリアを正確に伝えるのは難しいんだな」と思ったのも正直なところだ。世界中に知られる楽曲をいくつも持つアーティストだから仕方がないのかもしれない。もちろん自分も、その功績を過不足なく網羅する追悼文を書けるかというと、自信はない。彼が残した音楽はあまりに巨大で、伝えられるべきエピソードは膨大だからだ。
だから今回は、極私的ではあるが、筆者が実際に足を運んだライブをいくつか振り返りつつ、坂本龍一の音楽的な軌跡を記してみようと思う。これから世界中の人が、自分の体験を通した「坂本龍一」を語り継ぐだろう。その一端を担えたらと思う。
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■YMO「テクノドン・ライヴ』/1993年
筆者が初めて生の坂本龍一を観たのは1993年6月、東京ドームで行われたYMOの「テクノドン・ライヴ』だった。1983年に“散開”(解散)したYMOは1993年に“再生”(再結成)。70年代後半から80年代にかけて世界中にテクノブームを巻き起こした伝説のバンドの10年ぶりのコンサートとあって、観客は開演前から前のめりだったのだが、発表されたばかりのアルバム『テクノドン』を中心にしたステージはかなり前衛的で、会場全体が“静かに聴くモード”になったことを覚えている。この日、1曲目に演奏された「BE A SUPERAMAN」には、ウィリアム・S・バロウズが声で参加。1950年代のビート・ジェネレーションを代表する伝説の作家にオファーしたのは、坂本のアイデアだった。