珍しい病状ゆえに開頭手術をしなければ詳しい治療法すらわからない。神経を傷つけかねない手術をするか、このつらい状態のままギリギリまで弾くか。選んだのは「私からピアノをなくしたら何もない。命をかけて弾く」という決断だった。

 今年2月、岩井さんは母と「植物状態になっても1年は生命維持装置を外さない」という約束をした。

「『強いから、絶対に戻ってくるから』って。だから私は言った。殺さないって」

 そう話した母の頬を一筋の涙が伝う。その瞬間、落涙を感じ取った岩井さんがそっとティッシュを手渡した。

 岩井さんは語る。

「『全盲』に加え『難病』という枕詞(まくらことば)がつけば人は同情という物差しで判断するでしょう。それは望んでいることじゃない。でも、こういう人生だったからこそ、いろんな方に温かく見守られサポートしてもらえた。その恩返しをどんな形でできるのかと、いつも考えていました。きっとそれは私が懸命に生きる姿だったり、演奏したりする姿。だから私はステージに立つのです」

(編集部・三島恵美子)

AERA 2018年11月12日号

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