お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。
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「お笑い」について。
2018年、平成も間も無く終わろうとしているこの時期の、この気分、そしてこの状況をここに記しておきたい。
というか逆に、賢明なアエラ読者に訊(き)きたい。今「お笑い」をどう思っているのか?
お笑いが物凄く面白かった時代があったのだが、今どうもそうじゃないようなのである。さらに言えば、お笑いのレベルは確実に上がっているし、見れば面白いのは間違いないのに、それ以上のものがないという問題……。
私はお笑いで人生を決めてしまった人間だ。だからこの状況がちょっとイヤなのである。言い知れぬ不安……恐怖というほど大げさじゃなく、トゲが足に刺さってるというほど気になるものでもなく、娘の中学受験という当座の大問題に比べると屁でもないぐらいの不安と言えばわかるだろうか。存在の耐えきれないあやふやさ。寝食満たされ、暑さ寒さもしのげてようやく世間と堂々とつながれる表現。それがお笑いだ。必然性がボンヤリしている。世間から「お笑い」が無くなることはないだろう。でも優先順位は時として下がる。今がそれ。
「お笑いで人生を変えられた」や「お笑いに出会えたから今の自分がある」的な言葉が通用した時代もあったように思うが、今や「あの薄っぺらな石を河原で拾ったことで人生が変わった」や、「水切りに出会えたから今の自分がある」程度になったように思える。哀しい。
今のお笑いのポジションは先人らが「頑張った結果」。でも、同じように他のジャンルも頑張ったから困った。結果、埋もれた。私が影響を受けた漫才ブームとか、M-1とかは、他のジャンルの頑張りをさらに上回る鋭い頑張りだったのだろう、明らかに突出していた。だから面白かった。この夢のある世界で頑張れば、おのずと羨望を集めるだろう。邪(よこしま)な考えも持てた。
私も食えるようになった。