「江戸時代には林業が盛んだった。豊かな山林から切り出された木材は、荒川を下り、江戸に届けられ、城や大名屋敷や町の資材になりました。その上流に、三峯があったのです」(同)
漁業関係者による築地講、材木関係者による竪川講。江戸など下流域に住む人々が多くの三峯講を組織し、盛んに三峯へ詣でた記録が残っている。
人口増加や火事に伴い江戸周辺で材木が不足すると、貞享2(1685)年、幕府は御林奉行を創設、林産資源の管理に乗り出した。かつての大滝村(現秩父市)全域は、勝手に伐採の行えない直轄の御林山に設定された。
「だから、豊かな原生林が今も残っているんです」(同)
千嶋さんは、若い世代が興味を持って秩父へやってくることについて触れ、頬を緩めた。
「時代は巡るのかもしれません。ここへ来て耳を澄ませばわかることがたくさんあります。秩父は恵まれた土地。何か不思議が眠っているんですよ」
その不思議に魅せられて、あるいはひと息つくために、秋深い実りの季節に、また秩父に行きたくなった。(編集部・熊澤志保)
※AERA 2018年10月15日号より抜粋