俳優の樹木希林さんが75歳で亡くなった。生前、「上出来な人生だった」と語っていた樹木さん。 昨年5月に「死生観」を、今年6月に「演技論」をインタビューした記者が、心に残る言葉ややりとりを振り返る。
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「こちら希林館です。留守電とファクスだけです。なお過去の映像等の2次使用はどうぞ使ってください」
このメッセージが流れる電話に初めてかけたのは昨年4月。「年をとるのは怖くない」と題した本誌特集(2017年5月15日号)へのインタビュー依頼のためだった。樹木さんはマネジャーを置かず、全て自分で対応し、ファクスした翌日、本当にご本人から電話があった。
「こういう老いや死をテーマにした取材依頼がいっぱいきて困っちゃうのよ。全部お断りしているんです。話せることなんて何もないんだから。死んだことないからわからないのよ」
断りの電話だった。
「ほかに誰かいないの? 私でなくてもいいでしょう」
「一つ受けるときりがないからいやなのよ」
何度かの応酬のあと、ふいに沈黙が訪れた。じっとこらえていると、突然こう切り出した。
「ねぇ、『こういう取材がいっぱい来て困っちゃう』という(インタビューの)書き出しにするのはどう?」
こういうテーマの取材はアエラの今回きり。手土産は絶対に持っていかない。カメラマンはなしで、写真は記者がスマホかなにかで撮るとの条件もついた。気を遣ってしまうからだ。
指定された都内の自宅を訪ねると、モダンなコンクリート建築で仕事用の打ち合わせ室があった。扉は木の重いアンティーク。広い空間にピアノ、革張りのソファ、木の長机がセンス良くすっきり配置されていた。椅子にかけると「さぁ、どうぞ。なんでも聞いて」と取材は始まった。半ば戦々恐々と臨んだが、樹木さんは質問のひとつひとつに真摯に答えてくださり、一貫して静かな緊張感のなか話は進んだ。
15分たったころ、「この取材は完全に終わった」と青ざめる瞬間があった。老いや死について「何も話すことはない」と言われながら手を替え品を替え質問を繰り出した記者に対し、少し苛立った声でこう言い放った。
「老いるということは、しわも増える、目も悪くなる、歯も抜ける。腰も曲がるのよ。頭もぼけるのよ。それで、ちゃんと死んでいくのよ。ねぇ……何が不満なの? どうしたいの?」
この6行に全てが集約され、返す言葉がなかった。