1974年から5年間、皇室の「食」を担う宮内庁大膳課に勤めた工藤極さん。園遊会や宮中晩餐会なども手掛けたが、昭和天皇、香淳皇后の日々の食事作りが毎日の仕事だった。
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「11年前に自分の店を出した頃からメニューをイラストで描くようになって。絵でレシピ本を作りたいと描きためているうちに、こういう形になった。家内は『しゃべるより文章の方がいい』と褒めてくれました(笑)」
『陛下、お味はいかがでしょう。』(徳間書店)は、工藤極さんの温かみのあるイラストで宮中レシピや大膳課の様子、天皇陛下との思い出を綴った本だ。
工藤さんが所属した厨房第二係は洋食担当で、8人の料理人と、主厨長と呼ばれる総料理長がいた。ドラマ「天皇の料理番」のモデルとなった秋山徳蔵さんは元主厨長だ。
秘密のベールに包まれた天皇陛下の「食」とはいったいどんなものだろう。
「8時スタートの朝食は毎日洋食です。トースト、オートミールかコーンフレーク、温野菜、サラダというのが固定メニュー。昼と夜は洋食と和食を毎日交互に。聖上がお好きだったのは、レタスのスープ煮とサツマイモのグラタン。それと2週間に1度はお昼にカレーが出ていました。薬味としてお好きだったのが“いか粉”です」
当時、大膳課では昭和天皇のことを聖上(おかみ)と呼んでいて、工藤さんは今もそう話す。それにしてもいか粉とはなんぞや。
「秋山さんから引き継いだ中島伝次郎主厨長にいか粉を作るから手伝えと言われて。剣先するめを炙って当たり鉢ですったものですが『聖上がお好きなんですか?』と聞いたら『お好きだから作ってんだ!』って。職人同士はこういう会話です(笑)」
庶民がイメージする皇室の食事とは様子が違うような……。
「ええ、凝った豪華な食事ではなくシンプルでした。素材こそ皇室専用の御料牧場で作られた良質なものですが、大膳課には野菜の切り落としもソースの出汁(だし)に使ったり、すべて無駄にしないで栄養にする“一物全体食”という考えがあった。また、聖上はこれが食べたいと要望を出すことは一切なかった。主厨長が2週間分の献立を決めるのですが、それを召し上がるのみ。そんな姿にも驚きました」