マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞
マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞
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上手に自慢する方法(※写真はイメージ)
上手に自慢する方法(※写真はイメージ)

 お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。

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 自慢話について。

 もし人に、“自慢煩悩”というものがあるなら、こんなにもそれが昇華されている時代もないんじゃないだろうか。

 先ごろ、ある女優が、恋人のネット大富豪との付き合いっぷりをSNSで発表し続けた揚げ句、何故か最後は責任を取る形で、今までの投稿を全部削除したという出来事があった。これなどは、私からしてみたら「何を勝手にアップし、何を勝手に反省し、何を勝手に削除したのか」。もうやぶから棒すぎて、さっぱり意味がわからなかった。が、おそらく“自慢”にまつわることで起こったことだと思われる。

 ところで、こう見えて私は、ユーミンこと松任谷由実が好きである。彼女は自慢がうまかった。まだネットがなかった時代、彼女のする上手な自慢話に耳を傾けたものだ。

 彼女は作品を通して、我々が行ったことも、見たことも、したこともない経験、風景、感情を感じさせてくれた。「リア充」なんて下卑た言葉もない頃、松任谷由実の発信する音楽にはそういう効能もあった。ただし、彼女は特異な作曲能力で、詞の世界に魔法もかけていた。「悲しい自慢」は透明感を持って、「うれしい自慢」は物憂げに「こんなこといつまでも続かない……」みたく感じるように、「知識自慢」は覚えやすい旋律で、「ご当地自慢」は行ってみたくなるようなリズム感で。というように、全て音楽的に嫌みなく感じられる工夫をしてくれたことで自慢が感動に変わっていた。

 なにせ「中央フリーウェイ」である。あの当時、都内で車所有者でありながら、ステディを助手席に乗せ、出来たてのハイウェーをかっ飛ばす若者。かなりハイソな暮らしぶりがそこからはうかがえる。それを女性目線で活写したのがこの曲。これを自慢と言わずしてなんと言おう。

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