要は、アバターやロボット機能を使ったりして、次元を超えていろいろと人間が活動できる社会を目指していくということで、具体的には、「2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する」とか「2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する」とかある。2050年まで生きているかどうか微妙な世代として覚えておくべきことは、「まずは7年後に、1人10体のアバターを持ってね!」ということだ。……わかります?

 内閣府のページでは、1人の人間がレーサーになって優勝したり、時には料理人として活躍したり、または建築関係で表彰されたりする姿が、「空間、時間の制約から解放」されるイメージとしてイラストで紹介されている。言語の違う人とも深いコミュニケーションができる様子は「脳の制約から解放」されるイメージとして紹介されている。またロボット技術を使えば、「身体の制約から解放」され、非力な人でも救助現場で大活躍できるという。そして、「サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合した社会」をソサエティー5.0と呼ぶと提唱されている。ここにきて、もう笑うしかない気持ちになる。あはは、ソサエティー5.0って何だよ。

 知らない方のために説明すれば、ソサエティー5.0とは、今は亡き安倍さんが首相だった2017年に日本が国をあげて提唱した概念だそうです。5.0があるということは、1.0もあるということなのだけど、ソサエティー1.0とは狩猟社会で、2.0が農耕社会、工業社会が3.0で、今の情報時代を4.0と呼ぶのだとか。何かが致命的に間違っているような気がするのは、私だけでしょうか。縄文時代以前のことを「ソサエティー1.0」なんて名付ける時点で、人類への冒涜感半端ない感じがするのは、私だけでしょうか。試しに、Society5.0と英語で検索しても海外版のウィキペディアには出てはこない。今のところ、というか、多分、これもまた日本のガラパゴスな価値観で終わる気配が濃厚ではある。気になるのは、ソサエティーなんちゃらに、国家予算、いくらついてるんですか? 本気で、私たちにアバター10体、持たせる気ですか?

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