文部科学省が推奨するのは、「考え、議論する道徳」。今春から小学校で教科化された「道徳」は、どう評価されるのか。現場も保護者も揺れている。
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3学期制の小学校なら、夏休みに入る前、通知表が子どもたちに配られる。今春、道徳が教科化されて初の通知表だ。
都内のある小学校の20代の教諭は、かなり前から準備を始めた。道徳の評価欄は、授業で子どもが考えたことを中心にまとめるつもりでいた。
「クラス全員でどうしたらいいか考えました」「相手の気持ちを考えることの大切さに気づくことができていました」
慎重に言葉を選んでいるつもりだが、子どもの内心を評価していないか、線引きが難しい。校長から「踏み込みすぎでは」と指摘され、書き直した欄もある。同僚の話では、「評価文例集」が配られた学校もあるという。
道徳をどう評価するか。折に触れ、教諭たちの間では議論されてきた。6月中旬に都内で開かれた教職員向けの勉強会では、さまざまな意見が飛び交った。
「『気づきました』『理解しました』と書くと、『今まで気づかず、理解もしていなかった』ということにならないか」「教科書の狙いではないことを、自由に考えた子にどう対応できるか」
保護者側も戸惑っている。小学校1年生の息子を持つ母親(41)は、6月、都内の小学校の保護者向けに開催された道徳ワークショップに参加した。
「取り上げたのは、親を手伝う約束と、友達とサッカーする約束のどちらを取るか、という話でした。先生は『どちらを優先したら高得点という採点はしない』と強調し、『どう考えたかを問う』と言っていた。結局、評価の基準が曖昧(あいまい)。さまざまな条件を考慮したら、『よく考えた』となるのでしょうか」(母親)
1、2年生向けの教科書に多く掲載される、「かぼちゃのつる」という話がある。かぼちゃのつるがぐんぐん伸びて、ほかの生き物たちに注意される。それを無視して伸び続けたつるはトラックにひかれて切られ、かぼちゃは痛がって泣く。