タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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1年くらい前に、マンスプレイニングという言葉があるのを知りました。manとexplainがくっついて、Mansplaining。男性が女性を見下して偉そうに何かを解説することをいうのだそうです。
最初聞いたときは、ピンときませんでした。私、そんな経験、ないかも。
その数日後、ある会合でのこと。初対面の男性と、映画の話になりました。私が実話に基づいた新作映画の感想を言うと、その男性が「それは違う」と言うのです。彼は、映画を見ていないのに。見てもいない作品について、他人の感想を全否定って意味不明だよ!
どうも彼は「俺はその映画の元になった史実を詳しく知っている。解説してやるから聞け」と言いたいようでした。いや、頼んでないから。もしかしてこれが例のマンスプレイニングってやつか!?
それまではこういう時には「随分屈折した偉そうなやつだなあ」と思うだけでした。でも、マンスプレイニングという言葉を知ってからは、もしかして女性蔑視が根底にあるのか?と思うように。あるのかもしれないし、それとは別の理由かもしれないし、両方かもしれない。
一方で、この言葉自体に男性に対する先入観があるという批判もあります。私も女性から同様のことをされた経験があるので、マンスプレイニング的な言動は男性に限らないと思います。
問題は、「女性や若者はものを知らない」という先入観が、社会に深く根付いていること。それは無意識のうちに表情や視線に表れます。思い返せば、私も悔しい思いをしました。
mansplainerという言葉がアメリカで登場したのが2008年。一気に広まったのは、共感を覚えた人が多かったからでしょう。
新しい言葉は意識を変えます。同時に、それまでの物の見方を狭めてしまうこともある。マンスプレインという言葉が明らかにしたのは男性の新たな罪状というよりも、その言葉に共感する女性たちの抱えている抑圧なのでしょう。
※AERA 2018年7月16日号