日本最大を誇った投資信託「グロソブ」は解約が続いている。12年もの間、純資産残高トップに君臨していたかつての勢いはない。
外資系証券会社に勤めるYさん(48)は昨年末に帰省した際、高齢の両親宅に証券会社から届いた書類を見つけた。証券会社の営業担当者に勧められて10年ほど前に購入した投資信託(投信=ファンド)、グローバル・ソブリン・オープン(グロソブ)の運用報告書だった。
「まさか自分の親が持っていたとは思いませんでした」
投信の価格は購入当初に比べ半分になってしまったという。Yさんはプロの立場から解約を強く勧めたが、「息子に意見されて不愉快だったのか、両親は猛反発して……いまやグロソブは禁句の状態です」(Yさん)。
グロソブがデビューしたのは北海道拓殖銀行や山一証券の経営破綻直後の1997年12月。これまで年1、2回しかもらえなかった分配金が毎月もらえるという斬新な設計が受けて残高を伸ばし、2002年1月から12年間、純資産残高の国内首位を守った。08年8月には残高5兆7千億円を突破。今もその記録は破られていない。
だが、栄枯盛衰は投信業界とて例外ではない。グロソブの残高は4850億円と最盛期の10分の1を切った。1口1万円でスタートした基準価額は4854円(6月25日)と半分以下に。
一方、証券会社を退職したばかりの元支店長Aさんは「在職中に2回、会社から『グロソブを売れ』と号令が出ました」と振り返る。号令がかかると、目標に向かって突進していくのが良くも悪くも証券会社の伝統。急膨張したグロソブの残高が急速に縮小したのも、証券会社の営業スタイルと無縁ではない。
1回目の「グロソブを売れ」は08年秋のリーマン・ショック後だ。10月、日経平均株価が1万円の大台を割り込んで日本株は壊滅状態。唯一売れるのがグロソブなどの毎月分配型ファンドで、証券会社はこぞって投信を経営の屋台骨に据えた。12年には株式や外国債券を組み入れるミドル~ハイリスク型ファンドの7割以上を毎月分配型が占める時期もあった。
元支店長のAさんは言う。