企業宣伝室がもっとも気を配ったのが、写真に写り込んでいる人物。徹底的な調査を尽くし、特定できる相手に対しては可能な限り事前に承認を得た。

 例えば東京都編に使われた写真は、浅草寺の雷門である。パナソニックと、いったいどのような関係があるのか。

 見出しの〈昭和35年、浅草の象徴との浅からぬ縁。〉と写真に引き込まれて本文を読んでみると……。雷門が慶応元(1865)年の火事で焼け落ちたこと、それ以来、約100年間も本格的な再建がされなかったこと、大僧正の求めに応じて松下幸之助が現在の雷門を寄進したことなどが記されている。

 エピソードと写真がそろい、浅草寺に事前に連絡して許可も取った。けれども、写真に写っている当時の住職がいまどうしているのか、最後まで誰にもわからなかった。

 だが広告が掲載された後、パナソニック企業宣伝室室長の相川貴之さんに電話が入った。かけてきたのは件の住職の息子さんである。朝刊を開き、父親が大写しになっているのを見て驚いた。平成元(1989)年に亡くなった父親と新聞で思いもよらぬ再会をでき、いたく感動した。そんな気持ちが伝えられた。

 大阪府編では、昭和39(1964)年に大阪駅前の陸橋づくりに会社として協力したエピソードが掲載された。使われた写真は陸橋の渡り初め式。幸之助の後ろを小学生たちがパレードしている。山崎さんによると、

「これはどこの小学校の子どもたちでしょうか」

 との問い合わせが女性から入った。すぐに調べて曽根崎小学校(現・扇町小学校)であることを伝えると、

「私はそこの卒業生です、なんと懐かしい」

 と涙ながらに喜んでもらったそうだ。この電話がかかってきたのは、掲載から3週間ほどもたってからのことだったという。
 取り上げたテーマは過去のものばかりではない。宮城県編では東日本大震災の復興支援として行っている、ゆりあげ地区(宮城県名取市)に灯籠を寄贈する取り組みを紹介した。

 SNSなどで積極的に発信すれば、この広告は、おそらくネット上でも大きな話題となったはずだ。けれども、そうした手法はあえて封印された。派手に話題を呼ぶことはなかったが、込められた思いは、地味ながら深く浸透したようだ。(ライター・竹林篤実)

AERA 6月18日号より抜粋

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