一方で、制服や校則による管理で子どもが成長すると考えていない保護者や、一部の教員は「私服校の自由な空気を守りたい」と望んでいるようだ。例えば前出の男性会社員の長女が卒業した私服校では、PTAや卒業生の親たち、教員らが「きちんとした話し合いをすべきだ」と抵抗。その時点では制服化がまぬがれた。
都教委は制服導入について、「最終的に決定するのは校長。保護者の負担や導入の目的を学校経営計画によって明らかにしたうえで、教職員、生徒、保護者の意見を聞き、同意のもとで決めている」という。
であれば、すでに制服のある学校も毎年「制服会議」を開き、議論してはどうだろう。
小国さんは「小中高の公立で制服が存在すること自体おかしなこと。子どもたちの表現の自由を侵しており、決して民主的ではない。その意味で、アルマーニと都立高校の制服化は同じ問題だ。文部科学省は自分で考えられる主体性のある人材の育成をと強調しているのに、現実の教育は逆行している」と話す。
2016年に都教委が制服調査をした後の文教委員会に出席した前都議会議員の小松久子さんによると、都教委側は「制服の導入が生徒や保護者から大変喜ばれているとの報告を学校から受けている」と満足そうだったという。もともとは制服だった都立高校で70年代、自由主義の流れで生徒たちの手によって制服廃止が広がった。だが今、都内で選択制の学区で公立小学校に制服化の傾向があるように、都立高校も単に「選ばれるため」の制服導入になってはいないか。
「私たちは制服が嫌で仕方なくて自由を求めた。でも、今の子は制服を押しつけられても、自分が型にはめられていることに気づかず疑問に感じない。大人が若者を思考停止にさせている」と小松さんは不安を隠さない。
私服の都立高校を卒業した女子大学生(18)はこう話す。
「勉強ができないって判断した子はがんじがらめに管理する。先生は偏差値や見た目だけで判断して、実際は生徒を信じていないんだと思う」
ぜひ制服会議をやってほしい。本音で語り合わなくては、本質には近づけないのだから。(ライター・島沢優子)
※AERA 2018年4月30日-5月7日合併号