


日本でもブームとなったスタニスラフ・ブーニン氏。彼が所有するグランドピアノ「ユリウス・ブリュートナー」は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がロシア最後の皇帝ニコライ2世の妃に贈った品かもしれない。旧ソ連時代の話とともに、その逸話の足跡を同氏の妻である中島ブーニン・栄子さんが辿る。
旧ソ連で冷遇された知識階層の血族関係や同志意識は、まさに小説や映画の世界だ。
夫の祖父ゲンリヒ・ネイガウスは著名なピアニストで、旧ソ連や国外の名ピアニストを数多く育てた優れた教育者でもあった。1941年にスパイの嫌疑で拘束された後、44年に恩赦で解放される。無二の親友だったのが、詩人で作家のボリス・パステルナークだった。ふたりは旧ソ連の日陰社会で、生涯にわたって尊敬と友情をもって、互いの芸術性を高め合ったという。こうした交流の中で、ゲンリヒの妻ジナイーダは幼い息子を連れボリスと再婚し、後に『ドクトル・ジバゴ』が書かれたダーチャ(別荘)に移り住んでいる。
ジナイーダとゲンリヒの孫である夫は、このダーチャで、思春期の3年間を過ごしている。木造2階建てのその家の壁は、モジリアニやカンディンスキー、ボリスの父の油絵、水彩画、デッサン画で埋まっていたという。彼がピアニストの登竜門とも言われるパリとワルシャワの二つの国際コンクールを制覇したのは、それから間もなくのことだ。
余談だが、95年3月、夫は「ユリウス・ブリュートナー」購入を援助してくれた叔母と日本で会っている。彼が旧西ドイツに亡命後、7年ぶりの再会だった。その間のソ連の崩壊、新生ロシアの誕生という祖国の激動を語るには、3週間の滞在は短すぎた。昼夜を徹し口角泡を飛ばす叔母とのお喋りは、夫に過ぎし日のダーチャで繰り広げられた夜の集まりや議論、演奏会を彷彿とさせ、かつて大きな影響を受けたロシアのインテリたちの日陰社会に触れた日々を思い起こさせたようだった。