笑顔の先には涙を流す母、操さんの姿も。かつて引っ込み思案だった長女の成長に操さんは「なんか、遠い世界に行っちゃったみたいです」 (c)朝日新聞社
笑顔の先には涙を流す母、操さんの姿も。かつて引っ込み思案だった長女の成長に操さんは「なんか、遠い世界に行っちゃったみたいです」 (c)朝日新聞社
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 連日のメダルラッシュで一躍、平昌パラリンピックのヒロインとなった。アルペンスキー女子座位の村岡桃佳。想像以上の成長は、その行動力がもたらした。

 金メダルをかけた3月14日の女子大回転。1本目を終えた時点で、村岡桃佳(21)は2位に1.40秒差のトップに立った。

 勝負は2本目との合計タイムで決まる。村岡は出場選手の最後にスタート位置についた。1本目でトップでも、ミスをしたら逆転される。過去に何度も繰り返された展開が頭をよぎった。

「守っては勝てない。攻めるしかない」

 自分に言い聞かせて、急斜面へと滑り出した。

 シートを支える1本のスキー板が雪面を切るように進む。46の旗門が待ち構えるコースは、午後3時を回り荒れ始めていた。だが、村岡の滑りは乱れない。

「アドレナリンが出てたんですけど、どこか冷静に見ている自分もいて」

 初めての感覚だった。

 電光掲示板に途中のチェックポイントのタイムが刻まれる。1.40秒だった2位との差が広がっていく。1.66秒、2.15秒……。最後の斜面に入った時には、優勝を確信した観客席から大歓声が上がった。

 2.71秒差の快勝。4種目にして、初の金メダルをつかんだ。

「やっと自分の殻を破れたかな」

 左手を突き上げ、観客の熱狂に思わずフフッと笑った。一人で金銀銅の3色を手にする今大会のメダルラッシュは、村岡自身予期していなかった。

 4歳の夏。突然、両足が動かなくなった。横断性脊髄炎という病気だった。小学生で車いす陸上を始め、中学時代は全国大会で100、200メートルの2冠。中2で本格的にスキー競技に転向した。高校2年でソチパラリンピックを経験したが最高で5位。表彰式を眺めながら、メダルへの憧れが芽生えた。

 名門・早稲田大学スキー部の門をたたいた。一度は断られたが、トップアスリート入試に挑戦。パラアスリートとして初めての合格を果たした。自ら競技環境を切り開き、世界大会表彰台の常連になった。それでも、

「レースになると力が発揮できなくて……」

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