しかし、そうした現場の緊迫感が徳洲会グループの司令塔、東京本部にはなかなか伝わらない。湘南鎌倉病院の建設現場に東京本部名で「看護師募集」の広告が掲げられた。

 それを地元の医療関係者が見て「あれは何だ」と県にねじ込む。同じ公務員として行政の「胸のうち」がわかる平腰は、配慮が足りなかった、申し訳ないと詫び状を県に提出した。

 一方、盛岡は病院開設へと歩を刻む。88年11月、建物の竣工式を迎えた。けれども、県は「保険医療機関」の指定を下ろそうとしない。保険医療機関でなければ、保険診療ができず、すべて自由診療。患者が全額自己負担しなくてはならず、病院経営は不可能だ。

 竣工式の白薔薇を胸につけた盛岡は神奈川県庁に駆けつける。保険医療部のフロアの真ん中で怒鳴りあげた。

「医療過疎の解消という社会的課題を、個人に押しつけ、十数億も借金を背負わせ、どこまで苦しめるのだ。指定をしないのはどこの誰だ、名乗り出ろ」

 顔見知りの職員が近づいてきた。

「ここは任せてください。盛岡さん、今日はハレの日ですね。帰って、お客さんを迎えてください。みんな、わかってますよ。いい病院にしてください」

 間もなく湘南鎌倉病院は、保険医療機関の指定を受け、開院した。盛岡が30年前の病院開設を回想する。

「医療過疎をなくしたい。医師の過重労働に頼る医療を、トータルに変革したいという思いが強かったですね」

 湘南鎌倉病院は、7年後に徳洲会の医療法人申請が認められ、湘南鎌倉総合病院へと名を変える。かつて2時間かけて東京都西部の病院に搬送されていた救急患者は、早ければ数分で治療を受けられるようになった。

 病院開設の裏には、単純な善悪論では語れない人間のドラマが潜んでいる。(文中敬称略)

(ノンフィクション作家・山岡淳一郎)

AERA 2017年12月4日号