巨人を出てからはダイエー、ソフトバンクなどで活躍した吉田修司(写真提供・福岡ソフトバンクホークス)
巨人を出てからはダイエー、ソフトバンクなどで活躍した吉田修司(写真提供・福岡ソフトバンクホークス)

 第1回ドラフトの堀内恒夫から昨年の浅野翔吾まで、これまで巨人が指名したドラフト1位は61人に上る。うち60人が入団し、国内の他球団に移籍した選手も21人を数える。そんなドラ1移籍組の中で、新天地で活躍した男たちを紹介する。

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 メジャー時代も含めて息の長い選手としてプレーを続けたのが、1986年のドラ1・木田優夫だ。

 巨人時代は90年に12勝7セーブを記録するなど、先発、中継ぎ、抑えの三役をこなしたが、91年以降伸び悩み、98年に野村貴仁との交換トレードでオリックスへ。同年に4勝16セーブを記録すると、翌99年は日本人8人目のメジャーリーガーとしてタイガースに移籍した。

 その後、00年のシーズン途中にオリックス復帰も2シーズンで戦力外に。だが、腰痛治療で1年間の休養後、ドジャース、マリナーズを経て、06年、2度目の国内復帰となったヤクルトで見事復活を遂げる。

 五十嵐亮太、石井弘寿が離脱する苦しい台所事情から、代役に指名された木田はキャリアハイの56試合に登板。3勝8セーブ23ホールドとリリーフエースの責任をはたし、“大明神”と呼ばれた。

 7月には巨人時代の90年以来のオールスターに選ばれ、「続けてきたから、こういうことがあった。うれしいです」と37歳での出場を喜んだ。16年ぶりの出場は、球宴史上最長のブランクでもあった。

 12年の日本ハムまで26年間現役を続けた木田は、その後もNPB復帰を目指し、BCリーグ・石川で45歳までプレーしている。

 巨人時代は通算6勝も、移籍先でリリーフエースとして長く活躍したのが、88年のドラ1・吉田修司だ。

 ソウル五輪に出場した社会人ナンバーワン左腕は、藤田元司監督から「先発、リリーフで幅広く使えるタイプ」と評価され、90年6月3日の広島戦では、8回2死まで無失点に抑えて先発初勝利を挙げるなど、チームの連覇に貢献した。

 だが、92年以降は出番が激減。長嶋茂雄監督時代の94年5月13日の横浜戦では、セ・リーグ史上初の打者9人に9連打を浴び、1イニング10失点の大乱調にもかかわらず、「もう投手を使いたくない」という理由からイニング終了まで続投させられた。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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移籍先でも二桁勝利を挙げた150キロ右腕