新宿区立漱石山房記念館は、2017年9月24日にオープン。夏目漱石が晩年を過ごした「漱石山房」のあった場所に立つ。館内には、漱石の書斎が再現されている(写真:新宿区提供)
新宿区立漱石山房記念館は、2017年9月24日にオープン。夏目漱石が晩年を過ごした「漱石山房」のあった場所に立つ。館内には、漱石の書斎が再現されている(写真:新宿区提供)
この記事の写真をすべて見る
宮崎駿(みやざき・はやお):1941年東京都生まれ。アニメーション映画監督。「千と千尋の神隠し」で米アカデミー賞長編アニメーション賞受賞/半藤一利(はんどう・かずとし):1930年東京都生まれ。「文藝春秋」編集長などを経て作家に。『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』ほか著書多数(撮影/楠瀬彰彦)
宮崎駿(みやざき・はやお):1941年東京都生まれ。アニメーション映画監督。「千と千尋の神隠し」で米アカデミー賞長編アニメーション賞受賞/半藤一利(はんどう・かずとし):1930年東京都生まれ。「文藝春秋」編集長などを経て作家に。『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』ほか著書多数(撮影/楠瀬彰彦)

 10月28日、新宿区立漱石山房記念館の開館記念イベント「漱石と日本、そして子どもたちへ」で、作家の半藤一利さんとアニメーション映画監督の宮崎駿(はやお)さんの対談が行われた。対談後半では、漱石自身が『草枕』を「俳句的小説」と位置づけた理由について語り合った。

【半藤一利さんと宮崎駿さんの対談の様子】

*  *  *

半藤一利(以下半藤):ところで、宮崎さんが漱石で好きなのは、『草枕』と『三四郎』ですか?

宮崎駿(以下宮崎):『坊っちゃん』も好きですよ。一番最後、坊っちゃんは街鉄(市街鉄道)の技手になりますね、あそこがとても好きです。

 僕らは職業として絵を描く人間で、文人が絵を描いているのとは違う。お金をもらって絵を描くほうが下の段階だと思うんですけど、技手も技師より下の段階ですよね。だから、坊っちゃんが教師から技手になったことは、僕らの仲間になった感じがするんです。

 あの小説を「坊っちゃん」の挫折の小説だと言う人もいますが、僕は挫折の話ではないと思っているんです。

半藤:そう、挫折の話じゃないでしょうね。

宮崎:日露戦争が終わった後に、日比谷の焼き討ち事件がありましたよね。もし街鉄でも焼き討ちが起きて、暴動で電車が焼かれたら、坊っちゃんはどういう活躍をするのかなと想像するんです。一緒に火をつけるのかなって。

半藤:坊っちゃんが火をつけてまわったら、おもしろいですね。でも漱石は平和主義者ですから、消しに回りますかね。

宮崎:自分で火をつけて、消すかもしれない(笑)。

半藤:『草枕』の話に戻りますけど、『草枕』は漱石自身が俳句的小説と言っていますでしょう? 俳句的小説とはなんぞやと思って、昔、調べたんです。漱石は正岡子規におだてられてたくさん俳句を作っていますが、自分で作った俳句が山ほど『草枕』に出てくるんですよ。

宮崎:あ、そういうことなんですか! おもしろいですね。

半藤:たとえば、「垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ……」とありますけれども、これを読むたびに、鶯が鳴くとなんで生け垣から隣の娘が覗く必要があるのかと。そうしたら、漱石は「鶯や隣の娘何故のぞく」という俳句をすでに作っているんです。子規から評価されていませんが(笑)。

次のページ