夜間中学をご存じだろうか。全国に31校、1660人が学ぶ。いま転換期を迎えるが、その歴史は、国の教育行政に翻弄された歴史でもあった。全貌を知る、前文部科学事務次官・前川喜平さんが見た夜間中学の現状とは?
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国籍も年齢も違う生徒が、計算ドリルや英語や国語のテキスト、ノートを開き、鉛筆を走らせる。
「ここまでは分かる?」「うん」。教室のあちこちから、熱心な声が聞こえる。
神奈川県厚木市のビルの一室で、毎週木曜日に開かれる自主夜間中学「あつぎえんぴつの会」。授業は昼間ながら「自主夜間中学」に分類される。「自主」とつくのは、ボランティアが作り上げ運営する私塾だからだ。9月下旬、その「学校」で、前文部科学事務次官の前川喜平さん(62)は、72歳になる男子生徒と肩を並べ、中学1年の国語を教えていた。
「この『優』という字は『優れる』という意味。この字を使った言葉として、『優勝』『優秀』『俳優』……。いろいろ使われている漢字ですね」
スマートフォンにダウンロードした漢字の書き順アプリを使いながら、「優」「寿」「鬼」といった漢字の書き順や字の持つ意味などを丁寧に教えた。
「楽しいですよ。ボスがいないし」
前川さんは、そう言って破顔した。
今年1月、天下り問題の責任を取って文科省を去ると、活動の舞台を教育の「現場」に移した。官僚の頂点にまで上り詰めたが、現場で直接、教育の本質に触れる経験をしたいと思っていたという。福島市の自主夜間中学にも、片道2時間以上かけて、手弁当で通う。
「現場」では、官界からは見えなかった世界が見えた。14年間引きこもりだった青年、義務教育に一度も通ったことがなく鉛筆も握ったことがなかった高齢者、公立の夜間中学に通えなくなったフィリピン人の若者……。先の72歳の男性は、中学を卒業したが学び直したいと思い隣市から通っているという。これまでの学校制度から置き去りにされてきた人たちだった。
●教育を受ける権利保障されないままに
1979年、文部省(当時)に入省した前川さんは、当初から夜間中学の存在を意識していた。入省すると官房総務課に配属され「陳情の対応」に当たったが、夜間中学の増設を訴える関係者に対して、上は冷たかった。
「これはおかしいと思ったわけです。こぼれ落ちた人たちを制度がすくっていないじゃないかと。憲法で保障されているはずの教育を受ける権利が保障されないままになっている人たちがいる、と」