その夜、「待ち会」と呼ばれる会は各地で行われていた。
「シー(10)、ジゥ(9)、バー(8)、チー(7)……」
中国語のカウントダウンで20時を待ち構えたのは、「東大中文村上春樹研究会」だ。学部生や院生など24人ほどが所属し、村上作品を中心に日中・日韓・日米の比較文学ディスカッションなどを定期的に行う。会長の権慧(けん・え)さん(30)が語る。
「今年も残念でしたが、きっといつかは受賞できると信じています」
同じ頃、神戸のイタリアンレストラン、ピノッキオでは今年で6回目の「吉報を待ちわびる夜」が開かれ、関西近郊のハルキスト(熱烈なファン)が20人ほど集まった。学生時代に村上がデートで利用したことがあるというゆかりの店で、『うずまき猫のみつけかた』に登場し、エッセー集『辺境・近境』でも、この店でシーフードピザを食べた話が書かれている。祝杯とはならなかったが、「来年こそ!」と乾杯が重ねられた。
紀伊國屋新宿本店では、5年ほど前から、この時期になると村上春樹フェアを開催してきた。書店員の今井麻夕美さんがいう。
「毎年反響はあって、お客様の期待をひしひしと感じていました。日本のみならず、海外のファンも受賞を待ち望んでいるのでは。海外のお客様から一番お問い合わせの多い作家は、村上さんなんです。国籍や年代問わず読まれるのは、物語に入りこむほどに、読み手自身の心の奥が見えてくるからではないでしょうか。過去の作品でも全く古びない、普遍的な魅力があると思います。私も折に触れて再読しますが、その度に新鮮な発見があり、言葉の耐久度に驚かされます」
ここ数年、「村上春樹がノーベル賞を獲るかどうか」をめぐる狂騒は、10月の風物詩ともいえるほどだ。
そもそも狂騒の始まりは、2006年のフランツ・カフカ賞受賞とみられる。04年の同賞受賞者のエルフリーデ・イェリネク、同じく05年ハロルド・ピンターが相次いで同年のノーベル文学賞にも輝いたのだ。村上もこの流れに続くかと思われたが、逃し続け、11年が経った。候補者と選考過程は守秘義務があり50年後まで明かされない。本人も著書の中でこうして取り沙汰されることを「わりに迷惑です」と述べている。解放されて、やれやれ、ということには今年もならなかった。ある大学関係者は言う。