「ノーベル賞委員会は西欧のリベラリズム的視点で選びますよね。たとえば2015年のウクライナ出身作家の受賞はロシアのウクライナ侵攻に対する批判でもあったわけです。トランプ時代、テロ時代という時代状況のなか、逃避主義的と批判されがちな村上ワールドは評価されないのかもしれない」

 だが、受賞をしてもしなくても、その作品の価値が変わるわけではない。なぜこんなにも村上ワールドは愛されるのか。

 愛知淑徳大学メディアプロデュース学部教授で文芸評論家の清水良典さんは、村上作品には「内密な語りかけ」があると指摘する。

「一見謎だらけで、解決が見えない物語ですが、まるで自分にだけ話しかけてくれているように、親密に読者の心に入ってくる」(清水さん)

 メールやツイッター、LINE、インスタグラムといったあまたのコミュニケーションツールがあるが、その便利なツールの背後にあるのは孤独だ。話しかけてくれる人がいなくなったらという恐怖や不安がこびりついている、いわばディスコミュニケーションの時代。村上作品は、その対極に向かい、人の心の内側に届くというわけだ。

「村上さん本人もそれを自覚していて、自身の小説の特徴を『地下2階の小説』と表現しています。地下2階とは、深層心理、魂の底の深い部分の領域を示す。それが目に見えない通路のように人々をつなぐ働きをしているのでは。癒しの力を持っているとしたら、読み手の魂の奥底に触れるからでしょう」

 村上春樹がデビューした頃、彼の描き出す人物や生活スタイルは人工的で、「海外小説の翻訳のよう」「こんな日本人いるかよ」などと批判された。

 だがかつて「リアルではない」と考えられていた村上春樹の描く世界は、いまや世界のリアルになった。どんな田舎にもショッピングモールがあり、スマホを持ち、ネットにアクセスする。「都市型生活の孤独」までもが世界共通の感覚になったのだ。いわば、「世界が、村上春樹の世界に近づいてきた」(清水さん)。

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