山縣と競い合ってきた桐生はたくましく成長し、17年9月9日を迎えた。今度は1学年下の新たなライバルが待ち構えていた。6月の日本選手権で世界選手権の代表権の一角を譲った多田だ。運命の午後3時31分。2人はほぼ同時に飛び出した。

●偶然性が生んだ合理性 越えた者、越えていく者

 スタートに続く加速局面を最大の武器とする多田は、このとき、序盤で確実にリードしておかなければ勝機は見いだせないと身を固くしていた。

「勝ちたい」。多田は焦って無駄な力が入ると、地面を蹴ったエネルギーがスピードにつながる前方向ではなく、上方向に抜けてしまう課題があった。このレースで、それが出てしまった。

 一方の桐生は、足に不安を抱えていた。ところが、そのマイナス面が偶然にも合理的な走りを生むことになる。足を痛めることを恐れた桐生は、スタートダッシュを全力で踏み込まないようにした。勝負は中盤以降と考えた。その結果、最高速度出現区間はこれまでの55メートル区間から65メートル区間へと10メートルも後ろにずれ込んだ。

 実は、人間が瞬発的に出せる生理的なエネルギーの量には限界があり、どんなに頑張っても7秒程度で枯渇してしまう。そのため、100メートル走では中盤で最高速度が出ると必ずそれ以降は減速してしまう。

 だから、このエネルギーを負荷の掛かるスタートダッシュで使い過ぎなければ燃費効率は良くなる。エネルギーを長持ちさせる動作ができたので、桐生は最高速度到達区間を10メートルも奥までずらすことができた。しかも<脱力>は後半もブレーキ要素を消し去り、最高速度自体も9秒台に必須とされる秒速11.60メートルを超えて11.67メートルまで引き上げることができた。

 勝負ありだった。誇らしげな「9.98」。雄叫びの桐生と茫然の多田との対比が歴史に刻み込まれた。

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