さらに、2010年代からは新しい動きがみられるという。それを「新・現代若者ことば」と米川氏は呼ぶ。SNSの発達により、口頭語ではなく文字盤で「打ち言葉」が作り出され、それを口頭でも使用するようになってきたのだという。
この言葉を「現代若者ことば」と比べると、二つの現象がさらに進んでいると考えられるという。
「一つは『意味の疎外化』。つまり言葉の持つ意味を軽視する。もう一つは『脱規範化』。使い方が正しいか否かをさらに考慮しなくなってきています」
米川氏は、その理由をこう続ける。
「SNSでは自分の趣味嗜好に合わせて、同じような人たちとだけ接することができる。そのつながりの中では異質な他者を排除するようになります。このような画一化した関係の中では、言わなくても意味が通じるため、意味がいらなくなります」
この「新・現代若者ことば」には、「とりま」「草」「そま?」「ちな」「フロリダ」「ホカイマ」「限界オタク」などがある(米川氏の著書『俗語百科事典』などから。意味は表を参照のこと)。
これらはほんの一部だが、確かに一読して意味がわからないものも多い。しかし、米川氏は若者言葉自体を批判しているわけではないという。
「こういった社会を作り出してきたのは、大人です。重要なのは、若者言葉は社会を反映しているということです」
日々生まれている若者言葉だが、その寿命は長くない。これは流行語である場合が多いためだ。
リクルートが提供する進路情報メディア「スタディサプリ進路」が高校生を対象に行った調査によると、回答者(703人)の93%が流行語の「賞味期限」を1年以内としている。最も多かったのが3カ月以内(51%)、続いて6カ月以内(22%)だった。
一方で、(肯定的な意味の)「ヤバい」や「チャリ」(自転車)など、広く定着する若者言葉もある。そこには何か共通点があるのだろうか。
前出の米川氏は、残る若者言葉とそうでない言葉に関して「絶対の法則はない」としながらも、言葉が生まれて流行するメカニズムを四つ挙げる。
一つ目が社会的理由。社会の状況をぴったり表す言葉が出てきた場合で、大正末から昭和初期に流行した「モガ」や「モボ」、1968年の「大きいことはいいことだ」などがこれにあたる。
二つ目は心理的理由。有名人が使っているから、使わないと時代遅れになってしまうから、などの理由で広まる。滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」などだ。
三つ目は言語的理由。語形や意味、用法に奇抜さや新鮮さがあるもの、会話の中での汎用性が高いものを指す。KY(空気読めない)や、予備校講師の林修さんの「今でしょ!」が代表的だ。
最後が言語感覚的理由だ。意味はないが、感覚的に面白いと感じる言葉だ。「ガチョーン」や「じぇじぇじぇ」など。
「その語が持っていた新鮮さがなくなり、飽きが来れば言語的理由や言語感覚的理由がなくなり、その言葉は消えます。それから、社会的理由も時代が変われば、使われなくなります」
言葉は生き物だ。多くの言葉が生まれては死んでいく。その中でも若者言葉には彼らの鋭く、豊かな感性が見え隠れする。だからこそ、いい意味でも悪い意味でも、どの時代でも人々の関心を集めるのだろう。前出の堀尾氏はこう語る。
「言葉は変化しないと死んでしまいます。若者たちが新しい言葉を生み出しているということは、日本語がまだまだ生きている証拠だと思います」
若者言葉のあふれだす生命力を感じてみたい。
(本誌・唐澤俊介)
※週刊朝日オリジナル記事