泥靴でふみにじられた戦後立憲政治の常識とは(※写真はイメージ)
泥靴でふみにじられた戦後立憲政治の常識とは(※写真はイメージ)
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 思想家・武道家の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、哲学的視点からアプローチします。

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「共謀罪」の趣旨を含む改正組織的犯罪処罰法が参院法務委員会の採決を省略して、本会議で可決・成立した。事実上の治安維持法がこれから施行されることになった。この法律にはいくつもの致命的な欠陥がある。一つは「法律を制定する場合の基礎を形成し、かつその合理性を支える一般的事実」たる立法事実が存在しないことである。

 政府は当初これが国際組織犯罪に対処するために国連が提案したパレルモ条約の批准のために必須であるという説明をしてきた。しかし、パレルモ条約はマフィアなど国際的な犯罪組織を想定したもので、テロ予防のためのものではない。にもかかわらず安倍首相はこの法案を成立させ、テロ予防法制を整備しないと「東京オリンピックが開催できない」とまで言った。

 国連の人権理事会のケナタッチ特別報告者はこの法律が「テロ等準備罪」を名乗りながら「明らかにテロリズムや組織犯罪とは無関係な過度に広範な犯罪を含んでいる」ことを指摘し、この法案が「何が法律で禁止される行為なのかについて合理的に認識できる」という法的明確性の原則に違背しており、政府によって恣意的に適用される懸念を示した。日本政府はこの指摘に感情的な反発を示しただけで、指摘された瑕疵(かし)について一言の反論もなさなかった。

 衆院法務委員会での審議では法務大臣が法律内容についての野党議員からの質問に答弁できず、法解釈について食言を繰り返し、ついには首相や副大臣が法相の発言を制止するという異常事態さえ起きた。この法案がきわめて粗雑に起案されたものであり、その解釈が閣内でさえ周知されていないことが露呈した。首相は「丁寧に説明する」と言ったが、両院の委員会審議で、政府は法案についての懸念を払拭するような明快な答弁も、情理を尽くした説得もついに最後まで行わなかった。そして突然の審議打ち切りと、強行採決である。

 これによって日本の戦後立憲民主制の土台をなしてきたいくつかの常識が泥靴で踏みにじられた。踏みにじられたもののうちには、「国会は国権の最高機関であってほしい」という素朴な願望も含まれている。

AERA 2017年6月26日