イギリスは、大陸欧州ではないからこそ、大陸欧州にとって良きパートナーでありうるはずだ(※写真はイメージ)
イギリスは、大陸欧州ではないからこそ、大陸欧州にとって良きパートナーでありうるはずだ(※写真はイメージ)
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 ついにその日がやってきた。3月29日、イギリスが欧州連合(EU)からの離脱に関する公式通知を欧州理事会宛てに発信した。EUの基本条約、通称リスボン条約の第50条にのっとった手続きである。これを受けて、英・EU間の離脱交渉が始まる。

 この日が来ることを、筆者は長らく確信していた。リスボン条約が出来上がるはるか前から、いずれイギリスはEUから出て行くだろうと考えていた。1960年代前半、幼き筆者はイギリスに住んでいた。すっかりイギリス人気分になっていた筆者にとって、ドーバー海峡の向こう側は外国だった。

 自然が違う。家並みが違う。食べ物が違う。空気さえも違う感じだった。そして90年代、今度は大人として9年弱のイギリス駐在生活を送った。その時、やっぱり大陸欧州は外国だった。川端康成先生への失礼を顧みずにもじらせて頂けば、「国境の長いトンネルを抜けると外つ国であった」。

 この場合のトンネルは、いわゆる「ユーロトンネル」だ。ドーバー海峡を貫いてイギリスを大陸欧州と結びつけている。その中を走る列車が「ユーロスター」である。初めて乗った時、まさにトンネルを抜けたら景色が一変していた。イギリス風の雑駁風景が、大陸欧州風の整然風景に変貌していた。イギリス的風景に付き物の羊はいなくなっていた。その代わりに、牛がいた。むろん、世はグローバル時代だから、イギリスと大陸欧州の風景も、60年代に比べれば、かなり滲み合ってきてはいる。だが、本質はやっぱり違う。それで大いに結構だと思う。だからこそ、面白い。イギリスは、大陸欧州ではないからこそ、大陸欧州にとって良きパートナーでありうるはずだ。

 トンネルを抜けても抜けても、同じ風景。これが、一番気持ちが悪い。刺激がなくて、知性がなえる。これが、一番恐ろしい。大いに異なる者たちが、大いに仲良く末永くお付き合いする。この関係を、向こう2年の間にどう探り当てるかだ。技術的には、難題山積みの交渉になる。だが、それでこそ、両者の腕の見せどころだ。海峡トンネルのこっちでも向こうでも、手を差し伸べ合う心意気あらんことを。

AERA 2017年4月10日号