アエラにて好評連載中の「ニッポンの課長」。
現場を駆けずりまわって、マネジメントもやる。部下と上司の間に立って、仕事をやりとげる。それが「課長」だ。
あの企業の課長はどんな現場で、何に取り組んでいるのか。彼らの現場を取材をした。
今回は日比谷花壇の「ニッポンの課長」を紹介する。
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■日比谷花壇 ライフサポート事業統括部 ライフサポート事業部 ライフサポート東京第1営業 グループリーダー 金澤和央(35)
生花販売が本業の日比谷花壇が、花の祭壇作りから式場の予約、式の進行、料理の手配まで葬儀のトータルサービスを請け負う事業を始めたのは2004年。担当する金澤和央=写真手前右=に、父・幸一(64)=同奥=の葬儀を想定した祭壇を、早稲田奉仕園スコットホールギャラリー(東京都新宿区)に作ってもらった。
父の趣味の絵を、個展を開くイメージで飾り、「父が笑顔の時」を思い、母と寄り添う写真や、赤ん坊の金澤を風呂に入れる若き日の父の写真も添えた。咲き誇るのは父の好きなバラ。この小さな庭園を金澤の2人の息子が駆け回る。父本人は、「不思議な感じ」と苦笑いしつつ「素晴らしい」と目を細めた。
昨今は「終活」として本人が相談に来たり、闘病中から家族が準備を始めたりするなど、時間をかけてプランを練るケースも増えてきた。とはいえ、大半はやはり突然の依頼。悲しみに動揺するなかで、故人や家族の思いをくみ取って一両日中に形にする。
著名人の葬儀も手がけた。永六輔さんのお別れの会では、ラジオをライフワークとしていたことにちなみ、ポストを設置。投函されたファンからのメッセージは800通近くに上った。水木しげるさんの時は、目玉おやじのコサージュや妖怪を模した料理も提案した。
04年に早稲田大学商学部を卒業し、日比谷花壇に入社した理由は、「言葉も宗教も関係なく人を喜ばせることができる花を通して、死という究極の場面で人の役に立ちたい」だった。葬儀のトータルサービスは、事業の立ち上げから携わる。「葬儀を悲しみだけで終わらせず、笑顔の瞬間を作り出そう」と7人いる部下には声をかけている。
「黒衣という立場は守りつつも、ご家族とともに愛をこめて葬儀を作る気持ちで臨んでいます」。葬儀後はいつも、生前会ったことがないはずの故人に会ったことがあるような気持ちになる。
めざすは「故人が喜ぶ葬儀」。生と死を、笑顔と花でつないでいく。
(文中敬称略)
(ライター・安楽由紀子)
※AERA 2016年12月12日号