
物心ついた頃から聴こえない世界にいるからこそ、表現できる「音」がある。障がい者と健常者が刺激し合う社会をめざし、彼女はきょうも踊り続ける。
ロンドンから列車で約1時間。美しい海岸目当てに、人々が英国各地から集まる夏のブライトン。ここのデジタルアートフェスティバルで、南村千里さんがダンス公演を行った。
教会の大きな空間に、雨音が繰り返し響きわたる中、傘を持って登場する南村さん。物心ついた頃から聴いたことのない音や音楽をダンスで表現していく試みは、彼女の公演での一貫したテーマになっている。
●無音の世界に響く音楽
列車が風を切りながら、過ぎていく音。黒板をひっかいた時に生じる、キーといういやな音。包み込むような音に対し、ザワザワとした不安感を生む音。この舞台を見ていると、私たちの日常生活の中にはさまざまな音が存在していることを改めて知る。
肝心のダンスも、エモーショナルな動きで、ある時はスピード感を持ち、またある時は、スローテンポで、無音の空気中にダンスによる「音楽」が形作られていく。
そして突然、観客を驚かすように、稲妻のまぶしい光が放たれ、舞台はドラマチックに幕を閉じた。
ロンドンを拠点に振付家、ダンサー、パフォーマーとして、欧米にとどまらず、アフリカ、アジアなど20カ国以上で活躍している南村さん。生後7カ月の頃、髄膜炎にかかり高熱を出した。医者からは障がいを残す可能性もあるストレプトマイシンという薬を使うことでしか、命を助けられないと言われた。そして彼女は、聴覚を失った。
健常児と同じ学校に通いながら読唇術を身につけ、相手の話すことは難なく読み取れる。
日本の美術大学時代、振付家のヴォルフガング・シュタンゲさんのワークショップに参加した。シュタンゲさんは、障がいがある者とない者とで構成された英国のダンスカンパニーのディレクターも務めていた。この出会いが、南村さんに「聴こえなくても踊れる」ことを気づかせた。