
夏のフェスティバルに毎年のように来日したトニー、会うたびに撮るたびに「1枚だけだぞ」「何枚撮るんだ?」……といつもコワイ顔でレンズを睨みつけたトニーが「きょうは10枚撮ってくれ」と笑顔で言って来た。
マウント・フジ・ジャズ・フェスのステージで、緩急を極めたエキサイティングなドラミングでグループをぐんぐんドライブし、大観衆の興奮指数を最高潮に高めたトニー。
そのフェス会期中に滞在中のホテルでのフォトセッションの要請にに応えてくれた時の事である。
今回は新編成になった自己のグループのお披露目とあって、ボスとしては(ニューアルバムも発表された)バンドの存在を大きくアピールしたかったと言う訳だ。新バンドの中央に立って10種類のポーズをカメラに向かってきっちり決めてくれたのだった。
オール・アクセス権をいただいたカメラマンの特権として、舞台そでから(時には後から)ミュージシャンを見る事ができたボクが、トニーといって、いつも思い浮かべるのは彼のお尻(先に言っておくけれど、決して変質者的興味じゃなく、そちらの趣味はございません)、演奏中のドラマーを後から見る事などまず出来ない皆さんには誠に申し訳なく思いながら、お知らせいたしますと、トニーのお尻は実にたくましく、格好良く、美しいのです。
エキサイティングなドラムの力強いペダリングはあのお尻が蹴り出すんだと、いつも惚れ惚れしながら見入っていたものです。
トニー・ウイリアムスに初めてカメラを向けた時、確かV.S.O.P.クインテットとしてのライブ・アンダー・ザ・スカイ‘77……バックステージにいるところを見つけて写真を撮らせて欲しいと頼むと、手のひらをこちらに向けて「NO!」と一喝。その時撮影を拒絶されてから、この人は写真嫌いでムズカシイ人だとボクは会うたびに及び腰になっていたのです。
来日のたびに、コンサートのたびにレンズを向けて狙い続けるカメラマンは、そのうちインタビューに同行し、レコーディングの現場にまでやってくるようになると、さすがの写真嫌いも観念したのか、カメラマンの熱意を認めてくれたのか……
あのライブ・アンダーの一喝から20年が経っていた……東京原宿にあったライブ・ハウス「キーストン・コーナー東京」の開演前のステージで、愛用の黄色いドラム・セットの前に座ったトニーが「イイのを撮ってくれよ。」と終始笑顔で応えてくれた。
短い撮影を上機嫌で終えたトニーがボクの握手を強く握り返してくれ……ボクはすかさずトニーのお尻を2度3度叩いて返すと、堅くてたくましいお尻の感触が左手に伝わった。
そして、それが最後のフォト・セッションになってしまった。
ティーンエイジでマイルス・グループに参加してからグレート・ジャズ・トリオ、VSOPでの活躍。ドラマーとしてリーダーとしてそれらと並行して率いていた自己のグループでは晩年、若手のミュージシャンを多く起用した常に前進する人だった。
享年51、その音楽経歴の厚みから推測される歳ではないと感じたのはボクだけじゃない。
さようなら、若くして逝ったスーパー・ドラマー、トニー・ウイリアムス……堅いお尻の感覚を忘れない……
トニー・ウィリアムス:Tony Williams (allmusic.comへリンクします)
→ドラムス/1945年12月12日-1997年2月23日