完成しない競技場、警官までも反対運動……。史上最も困難な背景との不名誉な称号まで戴いたリオ五輪。しかし、底抜けに明るく楽天的なブラジル人に、日本人が学ぶことは多そうだ。
成田空港からニューヨーク経由で26時間余りかけて到着したブラジル・リオデジャネイロ。空港から宿泊先のメディア・ビレッジに直行すると、いきなりのカルチャーショックが待ち受けていた。
メディア・ビレッジとは、言ってみればメディア版の「選手村」。競技会場が集まるオリンピックパークから車で40分ほどの距離にあり、9~10階建てのマンション群が立ち並ぶ。
ドアの鍵は指紋認証で、部屋に入るとリビングとキッチンのほか、中に鍵のかかる4畳半ほどの部屋が3室。だが、私の部屋の鍵が開かない。
ブラジル人の男性スタッフに来てもらったが開けられず、「担当の人を呼びましょう」と備え付けの電話の受話器を上げたが、まだ開通していなかった。
「じゃあ、直接呼んできます」
●史上一番苦しい五輪
そう言って男性が出ていってから45分。あまりに遅いので自分でガチャガチャとやり続けていたら、突然開いた。
もしかしたら、さっきの男性が担当者を捜し回っているかもしれないと思って、隣の棟に行ってみると、パイプ椅子に座ってパソコンで動画を見ていた。
「鍵、開きました」と言ったら、「自分で開けたの? すごい!よくやったね!」と大喜びしてくれている。一緒に笑うと、モヤモヤしていた気持ちが吹きとんで、リオで楽しくやっていけそうな気がしてきた。
今回の五輪を一言で言い表すと、「ケチケチ五輪」だろうか。
開幕直前でもリオ市内で五輪ムードが感じられなかったが、開幕後もその様子は変わらない。その大きな原因は予算不足だ。ブラジルの経済危機の影響で大会予算も節約。ムードづくりのためのバナー(垂れ幕)などは真っ先に削られたというわけだ。
国際オリンピック委員会(IOC)のジョン・コーツ副会長は五輪期間中に英BCCの取材に答え、「かつてこれほど政治的、経済的に困難な背景で行われた大会はない」と述べた。
共同通信の記者として1990年からIOCを取材し、五輪期間中は日本オリンピック委員会(JOC)の専門職員としてメディア対応を担当する竹内浩さん(63)も言う。