親しみやすいキャラクターでテレビなどで大活躍のエジプト考古学者、吉村作治さんは仕事がらカメラを使うことが多い。そのカメラ歴と撮影することで見えてきた古代エジプト文明の神秘について語ってもらった。
――考古学の調査では、カメラを使う機会が多そうですね
発掘現場を正確に記録するためにカメラは欠かせません。憧れの考古学者ハワード・カーターは発掘現場のスケッチを繰り返しているうちに、ツタンカーメンの王墓を発見したんです。小学校低学年のときにカーターの発掘記を読みました。彼のスケッチの精緻(せいち)さを「人間写真機」と記述してあって、写真機って何だろうと思ったものです。
初めてカメラを手にしたのは小学校4年生、父にねだって買ってもらいました。父は江戸友禅の染め物職人でね、機械と人間の手技の組み合わせから生まれるものに理解があったのかもしれません。酒落者ってわけですよ。
東京の家には内風呂がなかった時代ですから、ぼくも銭湯に通っていたんだけど、その風呂屋の行き帰りにカメラ店をのぞいていました。「あーっ、これが写真機かあ」(笑)。どうやって写すのかもわからないままに中古の35ミリカメラを手にしていたんです。隣に写真用品会社に勤めていた人がいて、撮り方やうまい写真と下手な写真の違いなどを教えてもらいました。彼の家には暗室もあって、現像の工程を見せてくれた。どんな仕組みで印画紙に像が浮かび上がってくるのか全然わからないんだけど、何か格好いいんですよ。
――エジプト調査には、どんなカメラを持っていくんですか
1966年9月が初めてのエジプト調査でした。隊員は5人、ぼくはまだ大学生でしたよ。写真は自分たちで撮ろうと、4×5、6×6、6×9などカメラは12台持っていきました。資金の少ない調査隊でしたから、あちこちのメーカーを訪ねて安く譲ってもらえないか交渉したんです。
酒井特殊カメラ製作所を訪問したとき、分解中のトヨビューー4×5が置いてあった。当時はエジプトへ調査に行くことが珍しかったからね、「今から組み立ててやる。持っていけ」と技師の人が貸してくれた。帰国してから、手にレンタル料としてお礼の3万円を握って挨拶(あいさつ)に行きました。当時のぼくには、それが精いっぱいの金額だったんです。写真を見せたら「金はいらん。いい写真が撮れたんだから」と言って、無料でカメラを譲ってくれました。66年以降は、ニコンFE2、ニコンF3、キヤノンA-1などを使っていました。ぼくは新しもの好きでね、調査には新製品のカメラを持っていく癖があります。(笑)
――現在の愛機は
2004年に、当時新製品だったEOS Kiss Digitalを買った。デジタルはエジプトで出会った人や街など、仕事以外のスナップに使っています。資料の撮影は、ニコンF3とEOS KiSSです。
――初めてのデジタルカメラはいかがでしたか
シャッターを押したときのタイムラグには戸惑ったけど、すぐに慣れました。オートフォーカスだし、モニターも見ないでパシャパシャ撮ることもあります(笑)。撮影時間なんて、あっという間ですよ。何度もシャッターを押したり、シャッターを押すまでに時間がかかる人が結構いるけど、あれは女々しいね。原稿を書くときも同じ。一度構成を立てたら迷わない。最後まで一気に書き上げることが肝心です。(笑)
写真はストーリー性があることと正確に撮ることを心がけています。そのためには、20~25ミリの広角レンズが多くなりますね。画角に多くの被写体を写し込めるから撮り損じがない。ピラミッドや神殿など大きな建造物には、200~250ミリの望遠も使います。クフ王のピラミッドを何度も撮影していて、その入り口の位置について気づいたことがあるんです。頂上からスーッと垂線を下ろした位置に盗掘されたときの入り口があって、正規の入り口は東にずれていたんです。それは撮った写真を見ていて、偶然気がついた。そこで改めて測量したら、実際にずれていました。この発見は、87年に学会でも発表しました。同じ被写体を撮り続けていたからこそ見えてきた学術的発見でした。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2005年3月号」に掲載されたものです