●未発表オペラの楽譜
当時の日本の上流家庭は、競って子女にピアノを習わせた。外国人教師はことに尊ばれたが、元ベルリン高等音楽院主任教授というクロイツァーの経歴は抜きん出ていた。
音楽評論家の野村光一が「如何なる場合においても、感情の無秩序な露出を行わず、細心な理知的解釈を施す」と評した知性と気品が持ち味の演奏は、日本の聴衆の感性に響いた。ピアノ教室を主宰する弟子の協力もあり、日本で初めて一般のピアノ学習者向けの講習会を開いたこともファンの裾野を広げた。
戦後、クロイツァーには欧米から好待遇の招聘の誘いが殺到する。だが彼は日本に残ることを選び、こう語った。
「私の心は断ちがたい日本人への愛情で一杯なのだ」
52年2月、32歳年下の愛弟子、織本豊子と結婚。国境と年の差を超えたロマンスが話題を呼んだ。そのわずか1年9カ月後、演奏会の最中に倒れ、狭心症で急逝した。69歳だった。
筆者は評伝『クロイツァーの肖像』を執筆中、未発表オペラのスコアを発見した。欧州の研究家も注目の資料や音源が、まだまだ日本には埋もれている。(音楽ジャーナリスト・萩谷由喜子)
※AERA 2016年6月13日号