巷は猫ブーム。ネコノミクスなどと言われ、経済効果も喧伝されている。消費経済でもてはやされる猫を尻目に、犬たちは黙々と人とともに、人のそばで働いてきた。今日も明日も忙しいビジネスパーソンに贈る。
目出し帽をかぶった怪しい男が車から降りてきてピストルを鳴らす。「カカレ!」の命令で、車を飛び越え、犯人役の職員に飛びかかったのは、ジャーマンシェパードのチェイサーだ。
彼ら「警備犬」は、警視庁警備部に所属する「警備」のプロフェッショナル。映画さながらの華々しい訓練のようだが、人も犬も真剣勝負。噛む場所がプロテクターからずれて数針縫ったことのある職員も少なくない。
犯人追跡など捜査に特化した警察犬と異なり、警備犬の仕事は多岐にわたる。その出動回数は、年間300回にものぼる。サミットなどでのテロ警戒、要人の宿泊前のホテルや迎賓館のチェック。東京マラソンでも10頭が出動し、コースを念入りに調べた。今回は要請がなかったが、九州・熊本大地震が発生した際も、出動できるよう準備していたという。
驚くのは、どの犬も、爆発物の探知から災害救助、犯人の制圧まで複数の役割をこなせるマルチプレーヤーであること。首輪の種類で仕事の内容を理解する。平常時は鎖の首輪。革の首輪のときは、犯人制圧など「人を噛むお仕事」。首輪に鈴をつけているときは災害救助など「人を捜すお仕事」。
グラウンドの横には、災害救助の訓練用に、がれきを集めた一角もあった。「サーチ!」の掛け声で、6歳のラブラドール、スモーキーが走り回る。被災者役の職員を発見し、吠えて知らせる。担当者がその場にくるまで吠え続けるのが国際ルールだ。海外の災害現場に派遣されることもある彼らは、グローバルビジネスパーソンならぬグローバルビジネスドッグなのだ。国際救助犬連盟(IRO)から、最上級の格付けも受けている。
警備犬の訓練に携わって25年という山川良博さんはいう。「大切なのは信頼関係。犬は人の心を読みます。疲れた状態で訓練しようものなら、犬のほうが『お前やる気あんのかよ』という態度でだらけてしまう」
午前と午後に2時間ずつある訓練が終われば、担当者にタオルで体を拭いてもらったり、ボール遊びではしゃいだりする犬の姿があった。犬舎には「対話とほめ」と書かれた額縁が掲げられている。
絶対的な愛情と強い信頼関係の中には、ヒリヒリとした緊張感がある。
「彼らはあくまで『装備品』である、と私たちは肝に銘じています。危険な災害現場や銃を持った犯人を前にしたときに、自分のかわいい犬が死んでしまうかもしれないから、といって命令を下せないようではだめなんです」(山川さん) (アエラ編集部)
※AERA 2016年5月23日号より抜粋