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『ジャズにはアール(伯爵)・デューク(公爵)・バロン(男爵)がいる。これから君たちをカウント(伯爵)とバロンズ・オブ・リズム(リズムの男爵たち)と呼ぼう』
 出演していたショーのMCが言った、その頭の部分がくっついて、私のニックネームになったんだ。

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 ウイリアム・ベイシー、1904年ニュージャージー州レッドバンク生まれ。

「最小の音符で最大のスイングを生み出す」と言われた史上最高のビッグバンド・リーダーと、超一流のオーケストラが送り出す重厚なスイングはぞくぞくする程の快感である。

 ある時ステージ上でリハーサルをしているバンドの中に入ったことがあった。それはものすごいスイング感の渦に巻かれて、魂の芯から揺すられるとんでもない快感だった。

 もう一つ、ニューヨークのマンハッタン島を一周するサークルラインという観光船には、バンドを乗せてまわる「ミュージックルーズ」と呼ばれるイベントがある。夏の夕方デッキで一杯やりながらゆっくりと暮れてゆく空を眺め、高層ビルを仰ぎながら橋をくぐり川をのぼる。ぼくが乗った時のBGMは生のベイシー・バンド。極上の贅沢を経験できた。
 1935年頃から半世紀にわたるベイシー・バンドの軌跡は'50年に一度中断するが、この時がバンドの新旧を分ける重要な転機であったとされ、それ以降の「ニュー・ベイシー」と区別されている。'83年の日本公演でベイシーはスクーターのような型の電動車椅子でステージに現れて聴衆を驚かせた。

 来日直前に最愛の夫人を亡くし沈痛な同情を誘うシーンに陥るところ、いきなり我々カメラマンに向かって人差し指を唇にあてて「シーッ!」静かにしろよ、とおどけて見せた。

 そのヒョウキンなアクション一つで会場の空気は和らぎ、コンサートはいつもと変わらぬスイングの名演で満たされ、大きな喝采に包まれて終わった。

 そして、それが最後の来日公演になってしまった。没後のオーケストラはクラーク・テリー、サド・ジョーンズ、ニュー・ベイシー以降に起用されたフランク・フォスター(ts)がリーダーを務め、その後はビル・ヒューズによってスインギーなベイシー・サウンドが引き継がれている。

 旧バンドもニューバンドも多くのアルバムを残しており、中から数枚を選ぶのは不可能に近い。オールド期のものではレスター・ヤング(ts)の名演が聞けるが、いずれをとってもハズレ無し、ごきげんにスイングできること請け合いです。

カウント・ベイシー:Count Basie (allmusic.comへリンクします)
→アメリカのジャズピアノ奏者、バンドリーダー/1904年8月21日~1984年4月26日