『ライヴ・アット・マッセイ・ホール1971』
『ライヴ・アット・マッセイ・ホール1971』

 ソロ第3弾『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』とCSNYの一員として録音した『デジャ・ヴ』の成功によって、ニール・ヤングのファン/支持層は一気に拡大した。周囲からの期待は飛躍的に高まっていく。だが、CSNYが新作の録音に向かう可能性はほとんどない。ニール自身にも、その気はなかった。誘われたとしても、断っていただろう。

 おそらくはソロ第4弾の制作を視野に入れてのことだったと思うが、1971年を迎えるとすぐ、ニールはソロ・アコースティック・ツアーを開始。2週間後には、トロントのマッセイ・ホールでコンサートを行なっている。現在はカナダの歴史的建造物に指定されている同ホールの収容人数は約2700。そこが2日間超満員だったそうだから、やや古臭い言い方だが、「故郷に錦」といった受け止め方をした人も多かったに違いない。2007年にアーカイヴ・シリーズのひとつとしてリリースされた『ライヴ・アット・マッセイ・ホール1971』は、そのうちの、1月19日の音源をまとめたものだ。

 25歳のニールは、マーティンのD―45やグランドピアノを美しく響かせながら、落ち着いた雰囲気で、「テル・ミー・ホワイ」、「ヘルプレス」、「カウガール・イン・ザ・サンド」、「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」、「オハイオ」など、すでに時代を代表する歌になっていた曲を歌っていく。2年と少し前にミシガン州アナーバーで残したライヴ音源から感じられた緊張感のようものは、もうここにはない。

 注目すべきは、翌年の『ハーヴェスト』に収録される「ザ・ニードル・アンド・ザ・ダメージ・ダン」、初映画作品のタイトル曲となる「ジャーニー・スルー・ザ・パスト」、のちに『オン・ザ・ビーチ』に収められる「シー・ザ・スカイ・アバウト・トゥ・レイン」などがほぼ完成形で歌われていることだ。『ハーヴェスト』の核となる「ハート・オブ・ゴールド」と「ア・マン・ニーズ・ア・メイド」は、興味深いことに、ピアノ弾き語りのメドレーで歌われている。そう、ニールはすでに、あの名盤に向かって歩き出していたのだ。[次回6/17(月)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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