高倉健と張芸謀との間には、もう一つ思い出がある。08年北京五輪のとき、張芸謀は開・閉会式の総合プロデューサーを任され、巨大な重圧のなかにいた。そんなとき、張芸謀の北京五輪のオフィスを、高倉健が事前のアポなしにふらっと訪ねたという。その手には、日本刀が握られていた。もちろん、殴り込みではない。
事務所には、北京五輪に関わる大勢のスタッフがいたが、一同、思いもよらぬ高倉健の登場に目を丸くした。
「うまく言葉で表すことができないから、日本の古典的な方法でやることにしました。日本で国宝級の人に頼んで刀をつくってきました。日本刀は『守護と支持』を意味しています。これが自分の気持ちです」
高倉健は張芸謀にそう説明し、日本刀を鞘から抜いた。口に手ぬぐいをくわえて、手入れの方法を教えると、ふたたび刀身をしまい、箱に入れて、布にくるんで張芸謀に渡した。
「刀に息がかかれば、刀が汚れてしまうと教えてくれたのですが、その様子は日本の武士にそっくりでした。あまりに特別だった。忘れられない。この刀の包みはいまも開いていません。その包みの中に、彼の気迫と力が残っていると思えるから、開くのが惜しいのです」
※AERA 2015年3月23日号より抜粋