同床異夢と言うが、違う夢でもいい夢だったらいいのではないか──2年半ぶりに北京で実現した日中首脳会談は、そんなふうに思わせる。お互い「相手に譲らせた」とばかり、メディアを動員して自分ぼめに終始する姿は、滑稽にすら映った。

 習近平(シーチンピン)・中国国家主席はオバマ大統領と会っては笑い、プーチン大統領と会っても笑い、朴槿恵(パククネ)大統領と会うと、細い目をさらに細めた。だから、安倍晋三首相と会ったときのおっかない表情は、いっそう際立った。

 中国のネットユーザーから「習大大(シーターター)(習おじさん)は大国らしい風格を示した」「安倍は教師に叱られる子供」といった喝采が上がった。中国の論壇では「なぜ安倍は妥協したのか」と決めつけて分析する学者やブロガーの議論に花が咲く。

 中国メディアの関係者は、こう明かす。

「報道には上からこんな指示が出ました。内容はコンパクトに、日本が譲歩したという論調で、ちゃんと日中関係の重要性も強調しなさい、と」

一方、日本でも「安倍首相が大人の態度を見せた」「譲歩はしていない」など、日本側の視点の報道が多く、中国とそれほど変わらない。

こういうときは、第三者の意見が参考になる。英フィナンシャル・タイムズは社説で、安堵した世界の思いを伝えた。

「日中はAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の場で緊張緩和に動くしかなく、結果的には双方とも譲歩した。そして全世界が喜んでいる。(日中間の平和が)たとえどんなに短くても」

 これが偽らざる、首脳会談に対する評価の相場観だろう。

 会談や握手はセレモニーに過ぎない。その3日前に発表された日中合意文書で、今回のイベントは終わっていたからだ。日本は尖閣諸島問題についての言及に応じ、靖国神社参拝は「行かない」との言質は与えなかった。日中の痛み分けである。

AERA 2014年11月24日号より抜粋