WBCの試合を、私はほとんど見なかった。世間はおおいにもりあがったらしい。しかし、私にはあまり関心がいだけなかった。

 野球じたいは、好きである。ものごころがついてから、50年ちかく阪神ファンとして、すごしてきた。今でも、このチームに心の多くを、うばわれたままである。

 だから、日本代表の活躍をながめていても、あまり心がわきたたない。あんなの勝っても、「六甲おろし」はうたえないじゃあないか。阪神の球団旗もはためかへんやないか。日の丸と君が代のチームを応援しても、はりがない。そう私は、思ってしまう。

 日本代表より阪神。この心がまえを、非国民的だとなじるむきは、あろう。私も、自分は愛国心がうすいのかなと思う。しかし、阪神愛のおかげで、偏狭なナショナリストになることは、さけられた。まあ、偏狭なローカリストとなっているのかもしれないが。

 4月には、いよいよプロ野球のシーズンがはじまった。これから半年ほどは、阪神で一喜一憂させられる日々が、つづくことになる。

 こまったことに、このシーズン中は、ピアノの練習に手がつかない。ほぼ毎日、2時間か3時間ほどを、テレビやラジオの野球中継で、ついやしてしまう。そのため、ピアノの練習時間が、つくれなくなる。シーズン・オフには、そこそこ鍵盤へむかえたのに。

 まあ、阪神の調子がおちこみ、5月ごろから展望をうしなえば、話もちがってくる。ペナント・レースにもあきらめがつくので、野球観戦はおろそかになる。結果的に、ピアノの時間がたもてるという計算は、なりたつ。

 しかし、阪神びいきの私に、そんな展開をもとめる気持ちは、わいてこない。ピアノの練習はおろそかになってもいいから、阪神にはがんばってほしいと、願っている。

 21世紀にはいり、星野仙一をむかえたころから、阪神は強くなってきた。ここ数年は、毎年ペナントあらそいに、かかわっている。おかげで、私の練習時間もへってきた。シーズン中におちこんだピアノの腕を、シーズンオフに回復させる。それでやっと現状維持という毎年を、ここしばらくはおくっている。

 そういえば、ピアノにとりくみだしたのは、1996年からであった。阪神がほぼ毎年、最下位につけていた世紀末に、私はピアノへむかいはじめている。野球中継からはなれ、時間をもてあましたことが、私をピアノへいざなったのだ。

 当時から、そう意識していたわけでは、もちろんない。しかし、今は強い阪神のおかげで、練習時間がひねりだせなくなっている。練習ができるか否かは、阪神の弱さしだいだ。世紀末にピアノがはじめられたのも、阪神がおとろえきっていたからにほかならない。と、そう当時を冷静にふりかえりだせたのも、このごろ練習がとどこおっているせいである。

 あれは、たしか、1999年ごろであったと思う。私は、「A列車でいこう」のピアノ演奏を、試みだしていた。ブギウギのタッチ、ブルース。ピアノ風にアレンジした「A列車」へ、いどんだのである。

 レイ・ブライアントというピアニストの「A列車」で、刺激をうけたのだと思う。ブライアント流の味つけで「A列車」を弾いてみようと、しはじめた。

 しかし、左手のストライドが、なかなかうまくこなせない。とにかく、手がつかれる。私の左腕は、一分半ほどで、くたばってしまう。ブギウギの左手で、一時間のステージをもたせるブライアントが、神々しくひびく。黄金の左腕という形容も、おのずとうかんでくる。

 と同時に、かつてのエース、左腕投手、江夏豊へも、私は想いをはせた。レイ・ブライアントと阪神の大投手が、かさなって脳裏をよぎりだしたのである。偉大な左腕という、ただそれだけのつながりで。まあ、太目の体つきという共通点も、この連想をささえたのかもしれないが。

 江夏の姿をふりかえると、心の中に「六甲おろし」が、ひびいてくる。そのいきおいで、私はこの阪神応援歌も、ブギウギで編曲しはじめた。ストライドのタッチで、「A列車」と同じように。レイ・ブライアントの指づかいを、師に見立てて。

 そうこうするあいだに、「A列車」が「阪神電車」としても、想像されてくる。ここにいたり、私は「A列車」と「六甲おろし」を、組み合わせだした。阪神電車で甲子園球場へいき、六甲おろしをうたいあげる。その流れを、「A列車」から「六甲おろし」への連続的なブギウギで、演出するわけだ。

 全体で三分ちかくになり、左手はかなりつかれる。一回練習すると、へとへとになる。ただ、関西のステージでは、かっさいもあびやすいため、これがはずせない。ラストにフィナーレ用に、レパートリーのなかではおいている。聴衆の前でこれを弾き、左手がいたくなってくると、最終回の江夏豊が脳裏にうかぶのだ。

[AERA最新号はこちら]