ここしばらく、ピアノの練習をひかえている。鍵盤に、まったくふれないというわけではない。時おりは、指ならしもする。しかし、それもまあ、十日の一度、小一時間ていどといったところに、とどまる。

 ほかの用事でいそがしいから、ピアノがあとまわしになっているというわけでもない。さぼり癖がついたというのとも、ちがう。そこそこの技術水準へたどりついたので、練習がいらなくなったのでも、もちろんない。

 じっさい、人前で演奏へおよぶ機会は、最近ふえている。二ヵ月に一度くらいの割合で、なにやかにやと声はかかる。じつは、明日も、後輩の披露宴で、BGMピアニストの役目をつとめなければならない。練習をさぼってもいいような状況ではないのである。

 にもかかわらず、なかなか鍵盤へむかう心がまえが、おこらない。こまったことである。

 じつは、春ごろから右腕のヒジがいたみだしたのだ。これがつらい。ピアノの練習をすると、そのいたみがひどくなる。ヒジの、その部分だけが、熱っぽくなったりもする。

 やはり、こわい。無理に練習をつづければ、右腕じたいがいたんでしまう。ひょっとしたら、ピアノも左手一本でのぞまなければなくなるのかもしれない。「左手のためのピアノ・コンチェルト」も、脳裏によぎる。ラベルの、あの名曲にいどまなければならなくなるのであろうか。うーん、あんなの、両手をつかったって、私にはひけないのに…。

 ヒジのいたみでつらい今日このごろではあるが、ひそかな満足もないではない。

 この炎症、ひょっとしたら、ピアノのせいではないか。これこそが、あのしばしば耳にする腱鞘炎ではないか。ピアニストの職業病とされるあの病いに、私もおちいったのかもしれない。中年からの学習者である私も、とうとう病気では、彼らの仲間になれた…。そう想いをめぐらせ、ひとりで勝手にうっとりすることもある。

 近所の医者へおもむいて、ねんのため見てもらった。ああ、腱鞘炎だったらどうしよう、ちょっとうれしいかもしれないな…。

 くだんの医者は、私の腕をいろいろな角度へひねりながら、いたみのぐあいをたしかめる。レントゲン写真をながめつつ、こう私へたずねてきた。

 ―テニスは、なさいますか。

 私は硬式であれ軟式であれ、テニスはほとんどしない。そもそも運動は苦手で、球技ももっぱら観戦するばかりである。ピアノをはじめてからは、突き指がこわく、まったく遠ざかっている。そうこたえると、医者は首をかしげながら、つぎのように私へつげた。

 ―症状じたいは、いわゆるテニスヒジと同じです。テニスプレイヤーに多いいたみ方ですね。うーん、そうだな。何か重いものをもちつづけるっていうことは、ありますか。

 私は文筆家だ。ペンンより重いものはもったことがない。そう応答しようかとも、一瞬思った。しかし、同時にひとつひらめいたこともある。重いものといえば、そうだ、あれがあった、と。

 私は仕事柄、よく古本屋にでかける。調子にのってたくさん買いこんだ時は、大量の本をかかえこむ。そして、それはたいへん重い。きき腕の右手には、相当な負担をかけてきたと思う。

 以上のように、医者へはつたえた。すると、たぶんそのせいだという。長時間、重い本をもちつづけ、ヒジが疲労していたのだろう。ちょっとした刺激で、いたみやすい状態になっていた。それで、テニスヒジと同じ炎症をおこしたというのである。

 あのう、ピアノの練習は、どうなんでしょうか。そうおそるおそるたずねた私を、医者は冷酷にもしりぞけた。ああ、それは関係がないでしょう。でも、ピアノはしばらくひかえたほうがいい。テニスヒジは、ヒジをやすませるのがいちばんだから、と。

 私のひそかなナルシジズムは、うちくだかれた。くやしい。

 こんな可能性もある。医者は、五十四歳だという私の顔を見て、ピアノのひきすぎだなんてありえないと判断した。おっさんのてならいなんかで、ヒジはいたまないだろう、と。でもせんせい、私のピアノは、そこらのおっさんとちがうんですよ。そう言いかえしたかった。だが、はずかしくて言えなかった。

 今、毎日、右ヒジにはしっぷをはっている。そして、その上からはサポーターも、まいている。それしか手はないから、気ながになおるのをまちなさい。医者のそんな忠告を、まもっている。

 半袖からのぞくサポーターを見たつとめ先の職員からは、こうはやされた。井上さん、スタン・ハンセンのまねですか。ウエスタン・ラリアートですね、と。彼も、ピアニストならではの病だとは、思ってくれないらしい。私は、せつない日々をおくっている。

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